under recuperation

X(旧Twitter)の避難所

20230406

 『アイドルマスターシンデレラガールズU149』第1話を見た。一番印象に残ったキャラクターが赤城みりあだった。
 集められた第3芸能課の面々。晴がサッカーボールを室内で蹴り込む等、各々は好きなことをして過ごしている。プロデューサーはまだ来ておらず手持ち無沙汰気味である。
 仁奈が「プロデューサー来てくれないと仁奈たち何もできねーですね」と言う。あわせて引きの画面ではみりあがキョロキョロと周囲を見回している。
 直後カメラはみりあを映す。いささか不安そうな顔をしながら、あるいは「これからどうするか」と思慮をめぐらせながら、両腕を棚の上に置いている。これまでのところこの部屋の中では話が展開する上での役割を与えられておらずじっとしている。みりあは一瞬顔を伏せる。ここで話が大きく動く。
 「みりあ達のプロデューサー、どんな人だろうね。」
 明るく大きな声と少しぶりっ子じみた仕草で、バラバラのみんなの注意を一点にを引き付ける。仁奈が「何もできねーですね」という形で言及したプロデューサーについての話題を、「私達のこれから」を考えるためのポジ方向に一気に転換させる。
 もし一瞬の溜めや間が無いままに、みりあが言葉を発していたならば、自分は彼女のことをただ単に明るく元気な子としか認識できなかったと思う。彼女の状況把握能力、周囲の空気を敏感に察知する能力が際立っていることを表す描写だったように思う。
 実際そのような能力があるか・ないか、あるいは能力があるとしてそれを意識的に使っているのかどうか、という点は考えないといけないが、さしあたりそのような力が備わっているとして、それでは「彼女はこの力をどのように身に着けてしまったのか(力というかもはや癖かもしれない)」と、彼女の生い立ちや生育環境について思いを馳せてしまう。橘ありすの生活が尺を割いて大きくクローズアップされていたからこそ、まったく隠されているみりあのアレコレが余計に気になってしまう……。
 それから、みりあ自身はおそらく他の面々と比べて過剰なキャラ付け(口調等)もされていなかったように思うから、実は親しみやすさ、どこかにいるのではないかという観点でも愛着が湧いてしまった。