under recuperation

X(旧Twitter)の避難所

20240407「特別展 海―生命のみなもと―」(於:名古屋市科学館)――生命の歴史と生き物の尊厳

 名古屋市科学館で開催中の「特別展 海―生命のみなもと―」を見に行った。去年、国立科学博物館で開催していた展示の巡回。いくつか印象に残ったこと、考えたことのみメモに残しておく。

名古屋市科学館

マスストランディングの頭骨展示

 少しショッキングな展示の写真だけど、これはストランディング調査についてのもの。ストランディングはざっくり海の生物が海岸に座礁して死んでしまう現象のこと。集団座礁、大量座礁のことを「マスストランディング」と言う。ストランディングの結果死んでしまった個体を利用して、様々な学術調査が行われる。

 左側はシワハイルカの頭骨、右側はユメゴンドウの頭骨。全体像でなく頭骨のみの展示が、ある種の不気味さと共に集団座礁の不可解さを喚起させる。

 学術的意義云々の前に、言ってしまえば死骸がこのように展示されてしまうことに対して、少し違和感を覚えてしまった。展示と配列の無骨さが、各々の個体をマスとして、データとして扱っていることを象徴しているように思える。もう少し生に対してのリスペクトは無いものか、ナイーブとしか言いようがないかもしれないが、率直にそのように思った。

 しかし、そんなことを言い出したら展示というものが成り立たなくなるので、これはいちゃもんでしかないのだが(少なくとも、一体・全体だけならまだ印象は違ったように思う。そうするとマスさは表せないが)。

しろくまさん、かわいいね

 それじゃあ、このホッキョクグマの剥製はどうなのか。かわいいし、良いんじゃないですか。これは生に対してのリスペクトがあると思いました(本当?)

 じゃあ、二万年前の港川人頭骨はどうか?これも正直どうなのかと思うが、さすがに二万年も前なので、尊厳もへったくれも無いかもしれない。

 数十年生きてきて今更という感じはするが、死んだもの、かつて生物だったものが展示されていることに対して、怖くなってきました、今。

 この展示会そのものが、生命のはじまりを海から捉えるというコンセプトを核としており、言うなれば気の遠くなるような時間の果てに、原生生物含めて生物の生と死のサイクルと蓄積が続いていることを示している、と思う。

 我々ヒトは言ってしまえばかつて魚だったこともそうだし(「私たちをふくむ四肢動物は、デボン紀に肉鰭類の一群から進化しました。四肢動物の4本のあしは、祖先にあたる肉鰭類がもっていた肉質のひれから進化した構造です」(図録p.33))、マリンスノー(植物プランクトンの遺骸等)を食べて生きる深海生物もそう。

 展示の趣旨とはずれるが、生き物に尊厳があると人間が捉えることは、生命の圧倒的な歴史の前に意味をなさないのだろうか。どうなんでしょうか。そんなことを考えた。

 その他、海洋調査に関する最近の動向(ドローンとかアイソロギングとか、熱水からの金回収とか)についても知ることができ、これもおもしろかったな。

熱水からの金回収、現代の錬金術か?自分ひとやま当てさせてください

20240304企画展「多摩ニュータウンノ色」(於:パルテノン多摩ミュージアム)――外壁に映し出す色と人々の夢

 知人の歓送会が開かれるということで、例によって上京した。高校を卒業して以来会うことがなく、呼んでもらってありがたい。
 
 歓送会だけに出てとんぼ返りするのもなんだかなと思ったので、とりあえず一泊した。特に行きたい場所も無く、翌日どうしようかなと、考えなしで動いていた。

 パルテノン多摩ミュージアムで「企画展 多摩ニュータウンノ色」という展示会を開催しているということで、はるばる多摩センターまで行くことにした。

 しかし、途中で京王線調布駅でトラブルがあり、電車が止まってしまった。仕方なく、つつじヶ丘から調布まで歩くことにした。つつじヶ丘の日高屋では、おっさんたちが平日の昼間から酒盛りをしていた。

野川

 学生時代は京王線を使うことが比較的多かったが、調布より東側はあまり歩いたこともなかった。とはいえどこか見慣れた、懐かしい景色が広がっていた。狭く入り組んだ路地に吸い付く数々のアパート、家々の間に点在する畑、駅前の商店街。

 電車の再開まで調布で休憩した後、多摩センターに向かう。調布の猿田彦珈琲で食べたピスタチオのアイスが美味しかった(写真無し)。

調布駅

 展示会について。「多摩ニュータウンらしい色ってなんだろう?」という問いとコンセプトに導かれた展示会だった。集合住宅の外装、外壁の色に着目し、その色彩の地域差や変遷を調べて発表するというものだった。展示物の調査に、「市民学芸員」が積極的に関与しているのも大きな特徴だと思う。

パルテノン多摩

風景には、地域らしさをもたらすさまざまな要素が含まれ、建築物は重要な要素のひとつです。建築物には形と色の情報が含まれていますが、多摩ニュータウンの集合住宅の色は多摩ニュータウンらしい風景を形成する要素の一つであると考えられます。また、集合住宅では定期的に外壁の塗り替えがおこなわれており、多摩ニュータウンでは色の変遷もあります。

そういったことから、市民有志で調査団を結成し、現在の多摩ニュータウンの団地外壁の色を記録するための調査を実施しました。また、当館が所蔵する写真資料などをもとに過去の集合住宅の色についても調査をおこない、それらの成果を取りまとめ、展示をおこないます。

色という視点から、多摩ニュータウンの特徴やアイデンティティについて考えてみませんか。

パルテノン多摩 https://www.parthenon.or.jp/event/202311exhibition/


 展示の冒頭、この展示会のコンセプトについて、ジャン・フィリップ・ランクロの『フランスの色彩』にある「色彩の地理学」が契機になったことが示されていた。

 ランクロは、地域によって用いられる色彩の社会的な違い、文化的な違いについて検討している。この議論に基づいて、ニュータウンの色彩について考えてみようということのようである。

 各団地の色彩の特徴は、住区によって異なりがあるのだが、年代別に集計し直してみると、1970年代のベースカラーは色が薄く、80年代は一部で濃い色、90年代はその中間に変容していく傾向があるようだ。

 ここで少し思ったのは、外壁や外装に用いることのできる塗料の存在についてである。大規模なニュータウンが造成される際に、おそらく多くの塗料が必要になったのではないかと予想する。それらを大量生産し、調達するにふさわしい色はどのような色だったのか。薄い色の方が容易に調達できたのではないか。など、ニュータウンを構成するマテリアルがいかに規格化され、生み出されてきたか、気になった。

 他方、ニュータウンの中でも一際目立つ色彩なのが、南大沢(第15地区)のベルコリーヌ南大沢であろう。「南欧の山岳都市」をテーマに建築された洋風の住宅は、その外装のベースカラーに、「赤みを帯びた茶色」が多く使われている。

永山地区の色

南大沢地区の色

 比較的地味な色彩のニュータウンのなかで、ベルコリーヌ南大沢はバブル時代の名残を思わせる派手さがあった。自分、住めます。住まわしてください。

 展示物としては、他に「映像に見る団地の建物の色」というものがあり、『多摩ニュータウン 72』(1972年、24分9秒)、『多摩ニュータウン 21世紀の豊かなまちづくりをめざして』(1985年、30分1秒)が上映されていた(両方、企画:東京都、制作:日本映画新社)。前者の『多摩ニュータウン 72』を食い入るように見てしまった。
 
 ニュータウンが造成される前後の、丘陵の様子が記録として残されていた。丘陵に少しずつ団地が造成されていく状況は、良くも悪くもグロテスクであった。ニュータウンに引っ越してきた「新住民」たちの、新生活に胸を躍らせる様子には、「夢」が存在していた約半世紀前の時代状況を感じさせるものがあった。

 今の視点からすると、造成当初のニュータウンの外装の色は、もしかしたら「色が薄い」と感じられるかもしれない。しかしながら、映像の中にいる彼らにとっては、その色はどのように感じられていたのだろうか。昔ながらの家々と比べたら、光り輝いていた可能性はなかっただろうか。その意味では、ニュータウンに引っ越してくる前、もともと人々が馴染んでいた環境で「当たり前」と認識していた色がどのようなものだったのか、気になった。

 帰りに、過去の企画展の図録を購入。そのうち読みたい。

図録

 本当だったら、多摩ニュータウンのどこか住区の1つでも巡検してから帰りたかったが、それはまた今度。

20240214「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展(於:世田谷文化生活情報センター・生活工房)――協働と連帯に支えられたまちづくりの意義?

 2月10日~13日の3泊4日で東京に行っていた。10日は村上奈津実さんの2nd写真集発売記念イベント(於:ゲーマーズ秋葉原本店)、11日は第2回みけさなぴかりん(於:飛行船シアター)昼夜、12日は「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展を見たあと、知人と昼から夜遅くまでひたすら飲んでいた。

 「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展は三軒茶屋駅を降りてすぐそこにある世田谷文化生活情報センター・生活工房で開催されている。会期は2024/1/31-4/21。

世田谷区は、鉄道が敷設されたことをきっかけとして1920年代に都市化が始まり、今日にいたるまで東京の郊外として発展してきました。たくさんの人が集まり住むところには、そこに独自の生活文化が生まれます。一世紀に及ぶ都市化のなか、世田谷で発達したそのような生活文化の一つに、「まちづくり」があります。

この言葉が広く世の中の人々に知れ渡るようになったのは1970年代のことです。世田谷区では住民参加を掲げ、1980年代からまちづくりや公共施設の整備が進められました。また、よりよい地域づくりには区民の参加が不可欠として、1990年代以降、区民のさまざまなまちづくりの活動を支援するしくみが生まれました。

まちづくりは、世田谷の中でどのように発達し、何を残してきたのでしょうか。そしてそれは地域の人々の「まちと暮らし」をどう豊かにしてきたのでしょうか。

本展では、「まちづくりの空間」、「地形と都市計画」、「グラフィックデザインと都市デザイン」、「ワークショップと道具箱」、「市民のデザイン」の5つのパートにより、世田谷において住民参加のまちづくりがつくり出してきた「まち」と、そこで繰り広げられてきた「暮らし」を見渡します。

(参考)生活工房  [展示]世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年―
https://www.setagaya-ldc.net/program/564/

 展示会は次の5つのセクションで構成されていた。

1 まちづくりの空間
2 地形と都市計画
3 グラフィックデザインと都市デザイン
4 ワークショップと道具箱
5 市民のデザイン

 いくつか、印象に残った展示をまとめたい。

■1 まちづくりの空間

 「シェア奥沢」と言う地域のイベントやコワーキングスペースとして使われている一軒家の模型が展示されていた。
 (参考 シェア奥沢 https://share-okusawa.jp/

シェア奥沢・その1

シェア奥沢・その2

 もともと1926年に建造された民家が長らく空き家として放置されていたのだが、2013年以降に地域の空き家活用事業の一環として上述のスペースとして使われるようになったという経緯がある。

 この模型を見ながら、同じ世田谷でも場所は違うが、サザエさん一家が住んでいるあの平屋のことを思い出していた。

 世田谷で広々とした平屋に住むなんていくらお金を積めば良いのか(これはシェアスペースとはいえ)と、関係ないことを考えてしまった。自分、マスオさんいけます、やらせてください。

 他には下北沢周辺、小田急線沿線周辺の模型、「太子堂2・3丁目地区」の模型なども展示されていた。東京に住んでいたときもこの周辺に縁があった方ではないので、あまり土地勘もなく、もし土地勘があればもっと楽しむことができたのかな~とも思った。

ららら下北以上~原宿未満~

太子堂2・3丁目地区

■3 グラフィックデザインと都市デザイン

 印象に残っている展示のひとつとして、「都市デザイン室のポスター」がある。展示スペースとしては控えめだけれども、ポスターデザインのセンスがかなり光っている。この当時の背景として、解説の一部を引用する。

「世田谷のまちづくりは1975年の区長公選から始まりました。いわば、自治体としての独立とともに、まちづくりが始まったのです。「都市デザイン」や「都市美」という言葉が掲げられ、世田谷らしい美しさを持った都市のあり方についての模索と実践が始まります。」

 「都市美」は横浜市や神戸市においても、70年代後半のひとつのキーワードだったようだ。しかし、海、山の内無い世田谷における「都市美」は、「暮らしに近い空間のデザイン」(解説より)に照準を定めることになった。

都市デザイン室・ポスター

 都市デザイン室のポスターのなかでも、この「自然を美術すると都市になった!」というキャッチコピーのポスターがお気に入り。「美術する」という、「名詞+する」の独特な言い回しが1980年代っぽいと勝手に思っている。

「自然を美術すると都市になった!」なるほどね(何もわかっていない)

 また、そのキャッチコピーの内容をよくよく考えると意味がわかるようでわからない。素朴に田園都市的なものを想定すれば良いのかもしれないが。1980年代において、「自然を美術する」とはどういうことか?また、そのことによって「都市になった」とはどういうことか?さらには「なった!」と断言してしまっている点も、世田谷と縁遠い者にとっては実は不思議である。このような問いを誘発することで、住民のコミュニティや生活について考えさせる効果がもしかしたらあるのかもしれない、無いのかもしれない。

 なお、世田谷の都市デザイン室については下記を参照。
「世田谷の都市デザイン」
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/004/001/d00148715.html

 次に、「世田谷清掃工場の煙突コンペ」について。これもおもしろい取り組みだと思った。清掃工場を身近に感じさせる、住民が当事者として清掃工場と関わる試みなのだろう。コンペ用ポスター兼応募用紙の文面を一部引用する。

「どこからでも見えるノッポの煙突。だから街に似合うすてきな色にしたい。」

 実際の応募作品も展示されていた。応募用紙にデザインを描き、丸めることで作品になるという仕掛け。

清掃工場煙突デザインコンペのポスター

煙突デザインの応募作品

 もちろん、清掃工場と地域の関係性がこのデザインのエピソードだけで終わっては意味がないと思いはするのだが、「ゴミ処理」が都市の背景として溶け込み、後景化することに抗うためのひとつの役割を担っているのだと思う。

■4 ワークショップと道具箱

 まちづくりにおいて用いられる「ワークショップ」の日本での展開を考えるにあたって参考になる展示だった。ワークショップ史と言えば良いのか、そのような研究があれば基本文献となるような当時の文献が展示されていた。また実際にワークショップで使用した模造紙なども展示されており、今の時点から振り返ると貴重な資料であった。貴重な資料であった、というよりは今そうなりつつある、と言った方が正確かもしれない。

ワークショップ・基本文献

ワークショップ・模造紙

■5 市民のデザイン

 住民の様々な活動が紹介されていた。生物多様性、自然保護、居場所づくりなど。個人的には、子どもたちのプレーパークに関する展示で、プレーパークができる前後の当時の記録映像を流していたのだけど、それを腰をすえて見てみたいなと思った(なにせ40分の映像が3本をその場で見るのは厳しい)。

プレーパーク関連

■おわりに

 図録などが無いのでその点は残念だったけれど、まちづくりの歴史にはその「まちづくり」という発想そのものも含めて興味があったので見ることができてよかった。

 また、まちづくりに関与する自然の条件、郊外開発の歴史、様々な協議会といった集団の活動(またその歴史)、行政の果たす先進的な取り組み(特に個人的には「デザイン」について勉強になった)、住民と行政の関係……色々な角度から「まちづくり」について考えることのできる展示会だった。

 多くのアクターの協働と連帯に基づく「まちづくり」の意義を知ることができた一方で、そのような「まちづくり」に対する批判についてはどのようなものがあり、またありうるか、それはそれでまた別の機会に考えられればとも思う。

20231224「石川直樹:ASCENT OF 14 ー14座へ」展(於:日比谷図書文化館)――山と文体の崇高さ

 先日、出張で東京に行った。途中立ち寄った日比谷公園内にある日比谷図書文化館で、「石川直樹:ASCENT OF 14 ー14座へ」展を見た。ふらっと散歩するだけでいろいろと展示会に遭遇できる、東京の文化的蓄積の厚さを感じた。

 石川氏のことは恥ずかしながら知らなかったが、おもしろい展覧会だった。タイトルの「14座」は、「ヒマラヤ山脈カラコルム山脈にまたがる8000m峰、14の山々を指しています」とのこと。

(出典:https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20231120-hibiyaexhibition_ascentof14/

 時間の都合上、動画をじっくり見ることはできなかったが、石川氏の撮影した数々の写真は、ヒマラヤの山々の美しさだけでなく、雄大さ、荘厳さ、畏怖を伝えてくれる。

 それだけでなく、登山を支えるベースキャンプ、ふもとの町などを写した写真からは、山と共にある生活の息吹を感じる。

 展覧会の構成で大きな特徴となるのは、写真や動画の展示だけでなく、ヒマラヤ周辺の山々や登山を題材とした書籍の紹介である。14の山それぞれに対応するテキストの抜粋と書籍の実物も並べて展示されていた。書籍は、特に1950年代後半にかけて邦訳されたものが多かったように思う。

 率直に、写真、動画だけでなく、文字で山そのものを、登山を伝えることの奥深さに感じ入った。なぜか。

 ひとつには、その訳文の正確さがあるのだと思う。訳文が山の美しさ、雄大さ、そして自然の厳しさ、怖さを臨場感を持って伝えてくれる。おそらく原著の原文からしてそうだと思うのだが、山を伝えるメディアの質も量も制約がある時代のなかで、正確さを伝える文章は自ずと(修辞的な意味で?)美しさを帯びるのだと思う。その原文を余すところなく活かすための翻訳の努力がより一層美しく、これもまた机上で行われる登山なのかもしれない。

 以下はただの妄想だが、なぜ正確さが要請されるのか。単純に、記録としての正確さが求められるからなのだろう。地形、気象、文化、登山技術、健康状態等、どれひとつとっても(完璧さは土台無理だとはいえ)正確さを損ねることは、自身や後続の登山者の生死にかかわることになるように思う。

 もちろんこのことは、登山に限ることではなく、記録とはえてしてそういうものなのかもしれない。しかし、登山に限ってみれば、もしかしたらそのような、身震いがするほどに差し迫った、ある種強迫的に精緻さを研ぎ澄ませる文体のあり方は、確かに美しいのではあるが、美しさだけでは捉えきれない、一種独特の崇高さを我々にもたらしてくれるようにも思う(ここまで書いておいて、展覧会で読んだ文章が本当のところどの程度正確さにおいて妥当性があるものなのか、実のところ判断はついていない)。

 ここで出てきた「崇高さ」について少し考えてみよう。井奥陽子『近代美学入門』の第4章は「崇高」について取り上げている。

 自然の景色はプロポーションで捉えることができず、秩序や調和も見いだされません。それが近代になると、そうした不規則や無秩序あるいは不調和が肯定的に捉えられ、ある種の美しさが見いだされるようになるのです。これは大きな転換でした。
 近代以前のヨーロッパの人々にとって、自然の無秩序さをもっともありありと感じさせるものが、雄大でときに凶暴な大自然でした。(中略)
 こうした大自然を前にすると、自然の大きさや力に恐ろしさを感じると同時に、心の高まりを覚えることがあります。(中略)

 (中略)それまでの「美」では説明できない、恐怖と混じり合った高揚感という、この矛盾するような感情を言い表すために用いられるようになったのが「崇高」の概念です。(pp.194-5)
 

 まず、自分がヒマラヤのエベレスト等の写真を見て覚えた感情は、一種の崇高さなのだと思う。それだけでなく、自分はその崇高さを活写した文章においても、崇高さを覚えたのではないか(ここで、自分は山を直接見たわけではなく、写真を通してそれを覚えていることにも注意したい)。

 元来、「崇高」は、「言葉がもつ崇高さを指していたものが、自然がもつ崇高さも(むしろこちらをおもに)指すものへと変化」(p.212)していったという事情もあるようである。

(ここで、「美」と対比されるところの「崇高」(バーク)、自然に対して挫折しつつも立ち向かう人間の理性の「崇高」(カント)、その後のピクチャレスクの展開等、細かな美学史的議論はあるが、その点は省略する。)

 思いつき程度の話でしかないが、修辞学や文体論、文芸理論的意味での「崇高さ」と、荘厳な大自然の険しさ等に感じ入る「崇高さ」を同時に味わうことのできるメディアとして、登山に関する紀行文や記録があるのではないか。そのように考えた。


参考
井奥陽子,2023,『近代美学入門』(ちくま新書

日比谷公園内の松本楼。お高いんでしょ?

噴水

日比谷公会堂。歴史を感じさせる。

夜の日比谷図書文化館

ば、映え~(?)

展覧会のちらし

20231209読了:栗原康,2015,『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)

 1ヶ月くらい前に栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)を読んだ。現在は筑摩書房から増補版文庫が出ている。

 いかんせんしばらく前に読んだので、内容もおぼろげなのだが、これをひとつの(裏)日本思想史の本として読むことを考えた。実際、徹頭徹尾そういう本なのだと勝手に思っている。3.11を契機に社会の底が抜けた感覚。社会のおかしさ、変わらなさ、その乗り越え方を、断想的かもしれないが、日本思想史を辿りつつ描いている(といっても自分は日本思想史に詳しいわけではない)。

 どうにもこうにも、自分自身が「市民社会」「福祉国家」に囚われた窓際勤労青年のメンタリティで生きており、自分ごとを交えた「社会エッセイ」としてのエッセンスをつかみあぐねているから、そういう読みの方向を考えるのだと思う。どちらかといえば、自分は「豚小屋に火を放て」の「かの女」として生活しているようなもの(自分と「かの女」の落差については、ここでは置いておく)。

 他方で、「かの女」が言い放つひとことひとことは、本当につらい。なぜこんなに後ろめたさを感じながら生きていかなきゃならないのか。以下は本書のハイライトのひとつだと思う。

「もう我慢できない。おまえは家庭をもつ、子どもをもつということがどういうことなのかわかっているのか。社会人として、大人として、ちゃんとするということでしょう。正社員になって、毎日つらいとおもいながら、それをたえつづけるのが大人なんだ。やりたいことなんてやってはいけない。仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことしかやろうとしないのは、わがままな子どもが駄々をこねているようなものだ。」わたしも売りことばに買いことばで、やりたいことをやらないなら、なにがたのしくて生きているんだときくと、かの女は即答だ。「ショッピングにきまっているでしょう。おまえは研究がたのしいとか、散歩がてらデモにいってくるとか、カネをつかわなくてもたのしいことはあるとかいっているけど、貧乏くさくて気持ちわるいんだよ。そんなことをいっているからはたらかないんだ。大人はみんなつらいおもいをしてカネを稼いで、それをつかうことに誇りをもっているんだ。貧乏はいやだ、貧乏はいやだ。」(pp.38-9)

 勤労倫理・イエ規範・それらの穴埋めとしての刹那的な消費のあり方。これが三位一体で襲いかかってきて泣きそうになる。自分は今もたいがい貧乏だが、「貧乏はいやだ」「お金の無い大人(親)の姿はなんと情けないのか」と子ども心に思い続けていたこともついでに思い出す(自分の家族は失業などの憂き目にあってきた)。

 著者はここで伊藤野枝恋愛論にフォーカスを当てる。詳細は省くが、「結婚」に制約され収斂していく恋愛とは逸れる、「友情に裏づけられた恋」の可能性を浮かび上がらせる(pp.48-9)。言ってしまえば、「自分や他人の生命を尊重すること」(p.49)が何よりも大事なのである。

 だからこそ、著者は「国家」や「社会」を超える可能性を秘めていた、徳川綱吉(生類憐れみの令)に着目したりもしている(p.27)。とはいえ、徳川綱吉自身は結局江戸の人だし、後でサツマイモの話で出てくる徳川吉宗も江戸の人である。江戸時代において、徳川家を除いて、江戸時代を終わらせるような爆発的な思想はなかったのか、その点は気になった。

 例えば、参照されているスコット『ゾミア』のなかでは、国家から逃れる「逃散農民」が取り上げられている(pp.74-5)。これを参照点としつつ、鎌倉時代一遍上人が登場したりもする。では、やはり江戸時代真っ只中において江戸を超える可能性は何か?

 たしかに、江戸末期の蘭学者高野長英を論ずるくだりは、その可能性を感じさせる。ただ、高野がなりふり構わず勉強をしたいと遍歴を続けたそれは、言ってしまえば幕府から逃げつつ、知識や技術を磨いていくということだと思う。『ゾミア』的なイモの話とは少しずれる(もちろん、『ゾミア』はイモだけの話ではなく、いろんな逃走のあり方があるとは思うが)。

 とりとめもないことを書いてきたが、最後に。「だまってトイレをつまらせろ――船本洲治のサボタージュ論」もおもしろかった。「市民社会」の「正規労働者」とは異なる、サボタージュのあり方が存在する。

日雇労働者は、経営者と交渉するつもりなんてないし、そもそも、そんな交渉は成立しない。おなじ会社員ではないし、おなじ市民社会の人間とはおもわれていないからだ。それなのに、経営者にチリ紙を要求するなんて時間のムダだろう。そんなヒマありゃしない。だったらということで、クソをしたら、新聞紙でも雑誌でも、かたかろうがなんだろうが、あるものでケツをふいて、バンバンながしてしまうしかない。ひとは腹がいたくなったらクソをするのであり、ケツをふくのである。トイレ、こわれる。自然にだ。トイレがなければ、はたらけない。じゃあサボろう。あとは修理費をはらうのか、チリ紙をおくのか、経営者が自分でえらべばいいことだ。だまってトイレをつまらせろ。それがサボタージュの哲学だ。(pp.208-9)

 船本の思想を「社会の総寄せ場化」を背景として掘り起こしているくだりである。とはいえ、現代の非正規雇用の改善をめぐる状況はどちらかといえば、「市民社会」的な労使交渉のあり方に振れている気もする。どうだろうか。

(2023/12/9, 19:57追記)船本の壮絶な生き様を見るに、その生き様の前で「市民社会が~」とは口が裂けても言えない、そのような迫力がある。

20231121「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展(於:弥生美術館)

 弥生美術館で開催中の「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展に行った(会期:2023年9月30日(土)~12月24日(日))。前期の展示は見られず、後期の展示を見た。

(引用)アンティーク着物ブームの牽引役として登場した〈銘仙〉(めいせん)。大正から昭和初期に女学生を中心に大流行した着物ですが、現代の着物にはない斬新な色柄が多く、胸ときめきわくわくさせられます。
本展では、銘仙蒐集家・研究家である桐生正子氏の約600点のコレクションから選び抜いた約60点の銘仙を紹介。着物スタイリストの大野らふ氏のコーディネートでお届けします。
銘仙でみるgirl’s History
100年前の女学生文化は新しいことの連続、ささやかな闘いの歴史です。伝統的な日本の価値観に西洋の文化や考え方が流入してきた時代。そんな過渡期に生まれた若い女性たちのカルチャーを、銘仙を通してひもといてゆきます。

www.yayoi-yumeji-museum.jp


 感想を一言述べると、銘仙が(特に都市の)日常生活に彩りを添えて、根付いていたのだなと思った。それだけでなく、当時の芸術の潮流も踏まえてデザインが行われていたりする点も興味深い。

 大野らふ・桐生正子『大正の夢 秘密の銘仙ものがたり 桐生正子着物コレクション』(河出書房新社、2021年)のなかに、展示会とおおむね同様の内容がまとめられているので、いくつか参照する。

 銘仙の流行のきっかけは「解し織りの模様銘仙」にある。明治末期に学習院女学部の規則が「銘仙以下の服装」を指定することになったが、当時の銘仙は地味とみなされていた。そのなかで、「大胆な柄の表現」を可能にする解し織り銘仙が生み出された。さらには、輸入染料の「鮮やかな発色」もあいまって、学習院の女学生の銘仙人気が高まった(同書pp.15-7)。こうして、大正以降、女学校の進学率が上昇するなかで、銘仙のニーズも高まっていった(p.20)。

 詳細は省くが、銘仙の「図案調整所」の存在、1900年パリ万博以降の図案教育・図案家育成、アール・ヌーヴォーの定着と「薔薇」モチーフの図案の広がり、1920年代の「モダンガール」の流行の一方で起こるデパート・百貨店での銘仙販売の拡大もおもしろい。ファッションがいかに生み出され、どのような人々に支えられ、さらには日本の都市文化、大衆文化、女学生文化のなかでどのように受け入れられていったのか、このようなことが銘仙を紐解くことで見えてくる。

 なお、銘仙のブームは女学生文化の広がりによるものだけでなく、「カフェーの女給さん」がその流行を先導した面が大いにあるようだ(pp.90-1)。

 銘仙と当時の芸術の潮流との関係に関する記述についても興味深いものがある。例えば、ロシア構成主義をいかに図案に取り入れるか、日本のMAVO(マヴォ)の果たした役割も踏まえたデザインの歴史がおもしろかった。また、アール・デコを取り入れたり、戦後のアメリカのファッションに影響された水玉模様の銘仙もかなりビビッドな印象をもたらしてくれる。当時のニュース性の高い時事ネタを図案に取り入れる試み等も、かなり遊び心がある。そのデザインの自由度や時事ネタの再現度の高さを可能にする技術力があるということなのだろう。

 しかしながら銘仙ブームは、戦後の「ガチャ万景気(糸へん景気)」を境に収束していくことになる(p.124)。このあたりは、ブーム終焉後の地域、いわば都市生活の服飾文化を支えていた「地方」の動向がどうなっていったのか、気になった。

 館内は写真撮影OKだったので、いくつか写真を載せる。

戦後、アメリカのデザインの影響にある2つ

萌え萌え

帯に「HIGHSPEED」と書いてあるのがわかると思うが、「そんなのアリ?」と驚いた。

右はロシア構成主義的、左はアメリカンデコ的

水玉が本当にきれい

 

20231102『すごいよ☆花林ちゃん!』カラオケコーナーの曲まとめ

 『すごいよ☆花林ちゃん!』(パーソナリティ:高橋花林、毎週火曜23:00~ YouTubeニコニコ動画 セカンドショットちゃんねる)のコーナーのひとつにカラオケがある。コーナーに久しぶりにリクエストを送ってみた。

 コーナーに曲をリクエストする際に「あれ、この曲歌ったことあるっけ…?」となることがある(被りは特に気にしていないと思うが)。なので自分用のリストを作った(おそらく党員は自分でリストを作っていると思うが、ここに残しておく)。手間を考えてGoogleスプレッドシートにまとめた方が良い気もするが、とりあえずベタ打ち。

 いくつか備考。
・第113回までは「すごいよ☆花林ちゃん!bothttps://twitter.com/sugoiyorecord を参考にしてまとめた。botは停止しているが、感謝申し上げます。
・誤字脱字、誤情報、楽曲の発表年等は、気力があれば追記・訂正する。この点はあらかじめお詫びいたします。
・第303回以降の曲についても、気力があれば追記していく。
・カラオケコーナーは第234回(2022/7/5)から復活した。
・コーナー再放送等の重複もおそらくあるが、その点特に注記はしていない。
・本ブログ過去記事に部分的にリストがあるが、ここに集約することにする(過去記事はそのまま)。
・第113回までの日付は一日ずれている可能性。余力があれば随時修正する(すみません)。

 中断期間があるとはいえ、これだけの曲を歌っていて率直にすごいと思う。まさしくすごいよ☆

(以下、リスト)2024/1/27更新
第313回(2024/1/23) ダンスホールMrs. GREEN APPLE(2022年) ☆花林ちゃんリクエス
第312回(2024/1/16) ロマンティックあげるよ橋本潮(1986年)
第311回(2024/1/9) カラオケ無し
第310回(2023/12/26) いーあるふぁんくらぶ/みきとP(2012年)
第309回(2023/12/19) milk/aiko(2009年) ☆花林ちゃんリクエス
第308回(2023/12/12) 好きとかじゃなくて…/神谷薫(CV.藤谷美紀)(1996年) ☆花林ちゃんリクエス
第307回(2023/12/5) UNION/OxT(2018年)
第306回(2023/11/28) 雪の華中島美嘉(2003年) ※第268回とは別
第305回(2023/11/21) カラオケ無し
第304回(2023/11/14) ふわふわ時間桜高軽音部(2009年)
第303回(2023/11/7) Snow halation/μ's(2010年)
第302回 DAN DAN 心魅かれてくFIELD OF VIEW
第301回 おちゃめ機能/ゴジマジP feat. 重音テト
第300回 明日への扉/I WiSH
第299回 ルージュの伝言荒井由実
第298回 この空がトリガー/=LOVE
第297回 みんな空の下/絢香
第296回 君の知らない物語supercell
第295回 夢であるようにDEEN
第294回 空色デイズ中川翔子
第293回 夏祭り恋い慕う/=LOVE
第292回 カラオケ無し
第291回 カラオケ無し
第290回 ブルーバード/いきものがかり
第289回 ちゅ、多様性/ano
第288回 水の星へ愛をこめて森口博子
第287回 夏色/ゆず
第286回 DANZEN!ふたりはプリキュア五條真由美
第285回 渇いた叫び/FIELD OF VIEW
第284回 涙そうそう夏川りみ
第283回 メリッサ/ポルノグラフィティ
第282回 消せない罪/北出菜奈
第281回 からくりピエロ/40mP
第280回 ホウキ星/RYTHEM
第279回 ホウキ星/RYTHEM 
第278回 ミュージック・アワーポルノグラフィティ
第277回 カラオケ無し
第276回 風になる/つじあやの
第275回 風の谷のナウシカ/安田成美
第274回 君に触れるだけで/CURIO
第273回 メルト/supercell
第272回 インフェルノMrs. GREEN APPLE
第271回 Angel Night~天使のいる場所~/PSY・S
第270回 粉雪/レミオロメン
第269回 First Love/宇多田ヒカル
第268回 雪の華中島美嘉
第267回 等身大のラブソング/Aqua Timez
第266回 負けないで/ZARD
第265回 総集編のため無し
第264回 ゲスト回で無し
第263回 それでも明日はやってくる/鈴木結女
第262回 想い出がいっぱい/H2O
第261回 Love so sweet/嵐
第260回 総集編のため無し
第259回 想い出がいっぱい/H2O
第258回 恋人がサンタクロース松任谷由実
第257回 サウダージポルノグラフィティ
第256回 真赤な誓い福山芳樹
第255回 ゲスト回で無し
第254回 Rolling Star/YUI
第253回 リフレクティアeufonius
第252回 あなたに会えてよかった/小泉今日子
第251回 コンディショングリーン~緊急発進~/笠原弘子
第250回 夢見る少女じゃいられない/相川七瀬
第249回 TOMORROW/岡本真夜
第248回 CITRUSDa-iCE
第247回 木枯らしに抱かれて/小泉今日子
第246回 U&I/放課後ティータイム
第245回 プラネタリウム大塚愛
第244回 キスだって左利きSKE48
第243回 ロケ回で無し
第242回 ロケ回で無し
第241回 タッチ/岩崎良美
第240回 ミュージック・アワーポルノグラフィティ
第239回 Hello, Again~昔からある場所~/My Little Lover
第238回 恋愛サーキュレーション千石撫子 CV花澤香菜
第237回 聖少女領域ALI PROJECT
第236回 ゲスト回で無し
第235回 Be My Angel榎本温子
第234回 花火/aiko

~中断~

第123回 UNION/OxT
第122回 アンバランスなKissをして/高橋ひろ
第121回 ムーンライト伝説/DALI
第120回 さよならの向う側/山口百恵
第119回 サウスポー/ピンク・レディー
第118回 The Biggest Dreamer/和田光司
第117回 決意の朝に/Aqua Timez
第116回 キセキ/GReeeeN
第115回 プラネタリウム大塚愛
第114回 サウダージポルノグラフィティ
第113回 2020/01/28 My Revolution渡辺美里
第112回 2020/01/21 愛をこめて花束を/Superfly
第111回 2020/01/14 fragile/Every Little Thing
第109回 2019/12/24 Catch You Catch Me/グミ
第108回 2019/12/17 Automatic/宇多田ヒカル
第107回 2019/12/10 放課後オーバーフロウ/ランカ・リー中島愛
第106回 2019/12/03 地獄先生/相対性理論
第105回 2019/11/26 ナイショの話ClariS
第104回 2019/11/19 うたかた花火supercell
第103回 2019/11/12 ウィーアー!きただにひろし
第102回 2019/11/05 ヒカリへ/miwa
第101回 2019/10/29 めざせポケモンマスター松本梨香
第100回 2019/10/22 青い栞Galileo Galilei
第99回 2019/10/15 星が瞬くこんな夜にsupercell
第98回 2019/10/08 君はともだち/ダイヤモンドユカイ
第97回 2019/10/01 月光花Janne Da Arc
第96回 2019/09/24 時代/中島みゆき
第95回 2019/09/17 じょいふる/いきものがかり
第94回 2019/09/10 今夜このまま/あいみょん
第93回 2019/09/03 For フルーツバスケット岡崎律子
第92回 2019/08/27 HANABIMr. Children
第91回 2019/08/20 ガーネット/奥華子
第90回 2019/08/13 らいおんハート/SMAP
第89回 2019/08/06 七色の少年/パスピエ
第88回 2019/07/30 蒼の彼方/鈴木このみ
第87回 2019/07/23 宙船/TOKIO
第85回 2019/07/09 モザイクカケラ/SunSet Swish
第84回 2019/07/02 GOLDFINGER’99/郷ひろみ
第83回 2019/06/25 Link/L'Arc〜en〜Ciel
第81回 2019/06/11 Diamonds/プリンセス・プリンセス
第80回 2019/06/04 CAT’S EYE/杏里
第79回 2019/05/28 マリーゴールドあいみょん
第78回 2019/05/21 全力少年スキマスイッチ
第77回 2019/05/14 春の歌/スピッツ
第75回 2019/04/30 Lemon/米津玄師
第73回 2019/04/16 Over DriveJUDY AND MARY
第72回 2019/04/09 アポロ/ポルノグラフィティ
第70回 2019/03/29 何度でも/DREAMS COME TRUE
第69回 2019/03/22 赤いスイートピー松田聖子
第68回 2019/03/15 UNION/OxT
第67回 2019/03/08 3月9日/レミオロメン
第66回 2019/03/01 卒業写真/松任谷由実
第65回 2019/02/22 ほうき星/ユンナ
第63回 2019/02/08 やさしさに包まれたなら荒井由実
第62回 2019/02/01 虹/福山雅治
第61回 2019/01/25 明日があるさ坂本九
第59回 2019/01/11 時の流れに身をまかせテレサ・テン
第58回 2018/12/28 White Love/SPEED
第57回 2018/12/21 ロマンスの神様広瀬香美
第56回 2018/12/14 Snow halation/μ's
第55回 2018/12/07 木枯らしに抱かれて/小泉今日子
第54回 2018/11/30 冬がはじまるよ/槇原敬之
第53回 2018/11/23 カントリー・ロード本名陽子
第52回 2018/11/16 フレンズ/中野愛子
第51回 2018/11/09 檄!帝国華撃団/真宮司さくら(横山智佐)&帝国歌劇団
第50回 2018/11/02 だんご3兄弟速水けんたろう茂森あゆみ
第49回 2018/10/26 ファッションモンスター/きゃりーぱみゅぱみゅ
第48回 2018/10/19 閃光少女/東京事変
第47回 2018/10/12 気まぐれロマンティック/いきものがかり
第46回 2018/10/05 空と君のあいだに/中島みゆき
第45回 2018/09/28 浪漫飛行米米CLUB
第44回 2018/09/21 冒険でしょでしょ?平野綾
第43回 2018/09/14 恋しさと切なさと心強さと/篠原涼子
第42回 2018/09/07 そばかす/JUDY AND MARY
第41回 2018/08/31 夏の終わり/森山直太朗
第40回 2018/08/24 ガッツだぜ!!/ウルフルズ
第39回 2018/08/17 となりのトトロ井上あずみ
第38回 2018/08/10 プラチナ/坂本真綾
第37回 2018/08/03 コネクト/ClariS
第36回 2018/07/27 明日も/SHISHAMO
第35回 2018/07/20 悲しみよこんにちは斉藤由貴
第34回 2018/07/13 MajiでKoiする5秒前/広末涼子
第33回 2018/07/06 月灯りふんわり落ちてくる夜/小川七生
第32回 2018/06/29 糸/中島みゆき
第31回 2018/06/22 嵐の中で輝いて米倉千尋
第30回 2018/06/15 ゆずれない願い田村直美
第29回 2018/06/08 奏/スキマスイッチ
第28回 2018/06/01 Get WildTM NETWORK
第27回 2018/05/25 異邦人/久保田早紀
第26回 2018/05/18 謎/小松未歩
第25回 2018/05/11 カルマ/BUMP OF CHICKEN
第24回 2018/05/04 Northern lights林原めぐみ
第23回 2018/04/27 崖の上のポニョ藤岡藤巻と大橋のぞみ
第22回 2018/04/20 星間飛行ランカ・リー中島愛
第21回 2018/04/13 ありがとう/いきものがかり
第20回 2018/04/07 青空のラプソディ/fhana
第19回 2018/03/31 CHE.R.RY/YUI
第18回 2018/03/24 グローリー!/三森すずこ
第17回 2018/03/17 happily ever after中川翔子
第16回 2018/03/10 空も飛べるはずスピッツ
第15回 2018/03/03 渇いた叫び/FIELD OF VIEW
第14回 2018/02/23 魂のルフラン高橋洋子
第13回 2018/02/17 淋しい熱帯魚Wink
第12回 2018/02/10 バレンタイン・キッス渡り廊下走り隊
第11回 2018/02/03 カサブタ千綿ヒデノリ
第10回 2018/01/27 愛・おぼえていますか?/飯島真理
第7回 2017/12/30 微笑みの爆弾/馬渡松子
第6回 2017/12/23 おジャ魔女カーニバル/MAHO堂
第5回 2017/12/16 1/2/川本真琴
第4回 2017/12/09 イタズラなKISSday after tomorrow
第3回 2017/12/02 リニアブルーを聴きながらUNISON SQUARE GARDEN
第2回 2017/11/25 ハム太郎とっとこうた/ハムちゃんズ
第1回 2017/11/18 デイドリームジェネレーション/馬渡松子 
プレ放送 水の星へ愛をこめて森口博子

20231026読了:勅使川原真衣,2022,『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)

 体調が終わっているがとりあえず積読を一冊消化した。以下は読書メモ。

 我々がふだん◯◯力、××力と囃し立てている「能力」は実際のところなんなのか?考えたことはあるだろうか。

 例えば、今働いている職場では「優秀」とみなされ、以前働いていた職場では「使えないやつ」扱いされたと考えよう。もしそうだとするならば、それは当人の「能力」の問題なのだろうか?そうではなく、環境調整や組織の問題ではないか?このように著者は問いかける。

(ダイ:注・本書は母親と子どものダイアローグで構成されており、ダイは子どものひとり)「能力」って当たり前のように呼ばれるものがあって、なんとなくそれを受け入れているけど、実のところ、それが一体なんのことで、どう評価されているのか、という肝心な中身はわからぬまま。でも、能力獲得に追い立てられるプレッシャーは半端ない……ねぇ、僕ら、幻を見ているんじゃない?(p.35)

 導入・前提として、「「能力」は環境次第でいくらでも移ろうもの」(p.36)という議論が第1話で確認される。

 (基本的な構成としては、会社で悩めるダイ、そしてダイの妹のマルが、夭折した母親と「能力」をめぐって対話するというもの。その意味で読みやすい構成ではある。)

 続けて第2話では、教育社会学の知見をもとに、「能力の社会的構成説」や「能力主義メリトクラシー」の議論が紹介される。

 日本においては、過去の「実績」「功績」(言うなれば「過去の杵柄」)に関して、「能力」そのものではないにもかかわらず、「「能力」という「抽象的な『何か』をなしうる『力』へと転化し」(本田由紀、前掲書、83頁)、普及していったんだ」(p.48)という事情が説明される。(ここでの本田由紀、前掲書は『教育は何を評価してきたのか』)

 そのうえで、「能力」をめぐる「生まれ」の影響や、昨今のサンデルの「実力も運のうち」の議論も紹介される。

 日本における「能力」の変遷は、1970年頃まではそもそも「学力」とみなされてきたが、1980年代以降、「人間力」「生きる力」「コミュ力」といったかたちで、「能力主義の肥大化」が進行し、「ハイパー・メリトクラシー」が台頭した(pp.52-3)。

 第3話では、著者の修論をもとに、慶應SFCのカリキュラム改変を事例に、日本企業が求める「能力」(とそれに付き合わされる高等教育)が検討される。「協調性」(1986年)→「個性・創造性」(1995年)→「協調性」(1998年)と、企業が求める「能力」が変遷してきた。これに対して大学(特にここではSFC)が応じざるを得ない理不尽な状況が存在する(p.76)。

(ダイ)なるほど。人と人が集まって仕事はまわっているのに、個人単位の話に視野を狭める、しかも幻のような「能力」という概念に拘泥していて大丈夫?ってことか。(p.77)

 このような「能力」にこだわり、振り回されるのはなぜか。「学校教育段階での能力評価は批判されずに素通りされ、恨みを持つ個人も「『本当の私』を知らないだけ」と能力主義を内面化してしまうケースも少なくなさそうだ」(p.110)ということが要因として考えられる(第4話)。

 第5話以降では、人材開発業を事例に、能力開発商品の水平・垂直展開がいかにして起こったのか、著者の仕事内容や来歴も踏まえながら、まとめられている。まとめる力がないが、要所要所をかいつまんで見ていく。

 まず、コンピテンシーについて。コンピテンシーとは「仕事ができる人とのそっくりさん指数」(p.150)として扱うこともできる、言うなれば「能力」の測定に必要な指標である。

 この由来がおもしろい。コンピテンシーは、アメリカの心理学者・マクレランドとその弟子筋が推し進めた研究に由来する(p.154)。「仕事ができる」とは、「知能」「適性」でなく「コンピテンシー」だとぶち上げたのである。

誰が「活躍」しているのかを客観的指標で示し、ほかの人にもそのものさしを当てて、コンピテンシーの点数を知ることからはじめる。(略)まさにコンピテンシーは、人材の採用・評価・育成(開発)といったさまざまな人事の局面に向けて商品化がなされ、人材開発業界にとっては一大事業に成長した。(p.155)

 このようなコンピテンシーには「リーダーシップ」も含まれる。こうして巷には能力開発商品があふれかえることとなったというわけである。

 しかし、第7話で述べられるとおり、コンピテンシーにまつわる行動は真似しやすく、リーダーシップやパフォーマンスの予測手法は、伝統的な心理学の手法を活かしたもの、より統計的に精緻な解析を行うものに変化していった。

 それだけでなく、そもそもコンピテンシーに関する行動は、「真似すら難しい」「いざという時に発揮できない」こともある。このことは「性格」の違いに由来するのではないか(pp.174-5)。

 「性格」の違いが「行動」の違いを規定するという洞察をもとに、能力開発商品も、それぞれの「性格」に応じたオーダーメイド商品として無数に展開していくことになる。

 このような「能力を追い求め続けるしんどさ」(p.182)は、いつまで、どこまで続くのだろうか。

 職場では、「しんどさ」は個人の「メンタルヘルス」の問題に落とし込まれてしまう(第8話)。本来であれば、職場組織・環境の人間関係等の調整が必要になるはずなのに、個人の内面にばかり照準が当たるアプローチばかり取られてしまうのである。

 であればこそ、第5話に戻るわけだが、著者の基本的な立場は、「能力は固定的なもの」ではなく「関係性次第」と考えるものであるし、その立場に基づいて「人材開発」ではなく「組織開発」と自身の仕事を位置づけてきた(pp.124-5)。

 「能力」は序列をつけるものでも、万能化するものでもない。「能力」ではなく、組織がうまくまわるための「機能」という観点から考える必要がある(「多用な「機能」を持ち寄って、チームとして走っていく姿が健全な組織か」)(pp.127-8)。

 そして、個人のメンタルヘルスへの帰責について。第9話では、「生きづらさや不安の正体がわかったところで悩みが本当に解決するのか?」という、より身も蓋もなく、根源的な問いをめぐってのダイアローグが展開される。ここに至って、組織や企業の問題ではなく、どう生きるかの問題が頭を出してくる。我々はどう生きるか。ネガティブ・ケイパビリティ」(答えの出ない事態に耐える力)の議論の示唆を受けつつ、葛藤を抱えて生きる「生」を肯定する道が示されようとしている。

以下、いくつか。

1)「ネガティブ・ケイパビリティ」もまた適性検査に組み込まれてしまうのではないかというマルの指摘は鋭い。もし能力開発産業が適正検査をさらに発達させてしまうのであれば、やはり考える必要があると思うのは、そのように適正検査を発達させる(産学含めた)構造や仕組みを同じ時代の状況の中でモニタリングし続けることなのではないか。

そして、そのような適性検査を必要とする側が必要とし続け、導入し続けるのはなぜか。この点は本書でもその「カラクリ」が示されてはいたが、率直に言えばそのような「検査」を必要としなくなる状況、つながりを断ち切る状況が求められるのではないか。

2)続けて、第9話のある種の「どう生きるか」という問いかけとそれへの示唆は、第5話で展開された「組織開発」の議論とどう接続するのだろうか(斜め読みは承知のうえで)。重要なのは「能力」ではなく「機能」であると考えた際、それはおそらく「組織がいかにまわるか」の目線であり、立場になる。ここでぼやけてしまう「個人」「主体」の議論が、第9話ですくい上げられているとしても。

3)ダイが最終的に、会社で「僕を悪く言う人」の「語りを聞き出す」という方向にまで行き着いてしまうのは、彼の成長や軽くなった心を示しているのかもしれないが、個人的にはその方向で良いのだろうか、という気にもなった。2)ともかかわるが、言うなれば、環境調整の論点とネガティブ・ケイパビリティの論点をどううまく噛み合わせるのか、という点に自分の関心があるのかもしれない。

20231018読了:『建築の皮膚と体温 イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界』(LIXIL出版、2013年)

 先月の小旅行先でジオ・ポンティのレプリカタイルを自分へのお土産として購入した。ジオ・ポンティとは誰か、ということで『建築の皮膚と体温 イタリアモダンデザインの父、ジオ・ポンティの世界』をざざっと読んだ。

「イタリアンモダンデザインの父」であり、建築家、デザイナー、画家、編集者であった多能の人、ジオ・ポンティ。建築家としてのポンティは、モダニストでありながら、建築表面の表現を模索し、工業製品に手仕事を混在させ、そこに皮膚感覚を与えることを忘れなかった。(p.7)

 モダンで機能的でありつつも、軽やかさを醸し出すデザインの秘訣は、「建築の皮膚」にある。「建築の皮膚」は、例えば陶製タイルの多用を指す。イタリア・ミラノにあるピレッリ高層ビル(1956年)の脇の外壁はモザイクタイルを使用している(遠目にはよくわからないが)。

 タイルは窯変による色彩のゆらぎが温かみを伝える素材である。そして幾何学的なフォルムに陽光が注がれると陰影が紡ぎだされて、表面は動き始める。
 薄さ、軽さを追求したポンティが、物理的に重い素材であるタイルを好んだのは、建築にこうした生きた皮膚の感覚や体温を与るためだった。(p.10)

 なお、「皮膚」を構成する重要な要素は、壁に用いられるタイルだけでなく、「床」「窓(窓ガラス)」「ファサード」等も含まれるようだ。このあたりの、視覚の「抜け」を導く工夫というのは実際のところなかなか掴みづらい。直感的には、スカスカにならない程度の肉抜き(ミニ四駆的な)が緻密な計算によって施されている、という印象を持つ。掲載されている外壁の写真は切り絵のように見えるが、現実の建造物においてそれを実現させたという点は驚くべきことなのかもしれない。

 以下何点か。
 1)ポンティの設計した建築のなかにサン・フランチェスコ教会(ミラノ、1964年)、サン・カルロ病院付属教会(ミラノ、1966年)、タラント大聖堂(タラント、1964-70年)がある。これらは自分が想像するところの(一般的な?)教会のデザインとは異なり、言ってしまえば先述の「抜け」を意識したモダンさがある。素朴に、旧来の教会デザインを踏襲しなくても良いのか…という驚きもあった。

 2)解説のなかで引用されていたイタロ・カルヴィーノアメリカ講義――新たな千年紀のための六つのメモ』であるが、ポンティの「軽さ」を考える際のひとつの参照点として取り上げられていた。そのうち読んでみたい。また、ポンティのキャリアについて、ウィーン分離派との関係(と地中海出身ゆえの隔たり)が言及されていた。このあたりもまた勉強してみたい。

 3)エルウィン・ビライの解説は、ポンティを理解する手助けとなる。「ジオ・ポンティは言っていますね、建築は生きているものだと。気分によって感じ方も変わる。パルコ・デイ・プリンチピには、光や時間によって違った現象が現れます。だからこそさまざまなことを感じられる。」(p.49) このような建築における身体性(とでもいうべきなにか)を重視することによってあらわれる「軽さ」。それは、「重厚な家具に囲まれて生活してきた人々を重さから解き放ってかられの趣味を刺激し、モダンな世界に誘う役割も担った」(p.15)のであろう。とするならば、「軽さ」が求められる文脈、イタリアの建築や住まいにおける「重さ」はなんであったか、もう少し考えてみたいところだと思った。

20230922読了:新藤真知,2011,『もっと知りたい パウル・クレー 生涯と作品』(東京美術)

 パウル・クレーの入門書として新藤真知,2011,『もっと知りたい パウル・クレー 生涯と作品』(東京美術)を読んだ。ニワカ勉強の一環。いくつか個人的に重要だと思った点を書き残すことにしたい。

 1)まず、その作品におけるチュニジア経験・体験の影響について。チュニジア旅行以前にクレーは自身の色彩を獲得していたと近年論じられているようだが、その色彩表現を「後押しするように、チュニジアの強烈な光が、クレーを自由な色彩へと導いた」ようである(p.28)。

 ヨーロッパ(ざっくり)の美術史に北アフリカ(ざっくり)が与えた大きな影響はクレーの作品に限ることではないと思うので、その影響や作用の流れに即してもう少し美術史を学んでみたいと思った(オリエンタリズムというか、その功罪も含めて)。

 それにしてもチュニジア旅行周辺の作品は、決して写実的とは言えないが、その土地の(とりわけ乾いた)空気、空間そのものを大胆な構成で描き出している。オリエンタリズム的な夢の世界と言ってしまえばそれまでかもしれないが、描き出されたものは夢物語ではなく、ある意味では本物?なのかもしれない。

 ちなみに1914年のチュニジア旅行から14年後の1928年、クレーはエジプトにも旅行している。チュニジアで得たものが「色彩」だとするならば、エジプトで得たものは「画面構成のダイナミズム」(p.54)になるようだ。

 2)次に、クレーの作品モチーフにおける「文字」の存在について。曰く、「自然を忠実に再現することを前提としたルネサンス絵画以降、画面から文字を排することが西洋絵画の伝統であった。クレーが絵画に文字を取り入れ始めた当時は、ヨーロッパ芸術における文字と絵画の関係の転換期であった」(p.40)とある。あまりにも美術史に疎いので、「自然の忠実な再現」と「画面からの文字の排除」が絵画表現において重なり合うことに思い至らなかった。目からウロコ。

 関連して、クレーにとっては、彼のヴァイオリニスト経験にも裏打ちされているであろう「ポリフォニー絵画」も重要な作品群となる。クレーは「絵画のなかにリズム(時間)を描こうとした」(p.52)ようである。「文字」(言うなれば言語)をどう絵として表すのか、そして「音楽」「リズム」をどう絵として表すのか。20世紀の絵画表現には、ごくごく素朴に言えばやはりそれまでの「伝統」とされている技法、対象、表現、構成などの相対化があるのだろう(とは思うが、世紀転換期にそれが一気に始まったのかどうかはよく知らず、複数の芸術運動や潮流をきちんと押さえる必要がありそうだ)。

 3)芸術運動という論点について。pp.14-5にかけて、短い紙幅ではあるが、19世紀末から20世紀初頭にかけてのそれが紹介されている。暗記ができないので必要に応じて読む程度の距離感で良いと思う(文化史、美術史はどちらかといえば苦手)。

 ちなみにクレー自身は若い頃、「青騎士」に一時期所属していた。それから、彼のキャリアを語る上で外せないのは、バウハウスでの教育と創作であろう。バウハウス時代の比較的初期(たぶん)に描かれた「セネキオ」は多分世間的にも有名で人気なのでは。色彩の鮮やかさはチュニジアの延長にありそう。