20251004高知県立美術館 特別展示・調査報告「再考《少女と白鳥》贋作を持つ美術館で贋作について考える」――美術鑑賞の間口を広げる贋作・マテリアル・科学鑑定
高知県立美術館 特別展示・調査報告「再考《少女と白鳥》贋作を持つ美術館で贋作について考える」を鑑賞した。

先日、高知に日帰りで行ったのだが、目的地に行く途中で立ち寄った高知県立美術館で開催されていた。たまたま鑑賞できてラッキーだった。
会期は2025年9月13日~25日(第1期)、10月4日~19日(第2期)。鑑賞したのは第1期の展示。
監修に田口かおり氏(京都大学院人間・環境学研究科)が就いている。田口氏には『改訂 保存修復の技法と思想――古代芸術・ルネサンス絵画から現代アートまで』(2024年、平凡社ライブラリー。原著は同じく平凡社、2015年刊行)などの著作がある。
本展示は、すでに各所で報道などがなされているとおり、ヴォルフガング・ベルトラッキが起こした贋作騒動に端を発する。展示会で配布していたパンフレットを参照したい。
高知県立美術館は表現主義の作品を収集する方針を採っている。その流れでハインリヒ・カンペンドンク(ドイツ表現主義)の絵画《少女と白鳥》(1919年)を購入した。しかしながら2024年に入り、その作品はベルトラッキがカンペンドンクを騙って製作したのではないかとの疑いが生じた。先の田口氏らによる科学調査を経て、今年の3月に当該作品が贋作であることが公表された(安田篤生館長あいさつより)。
本展は、そのような経緯と調査の内容をみなさまにご覧いただけるようにするとともに、今昔および東西を問わず「贋作」が生み出され続け、われわれ美術専門家も欺かれるという歴史と事実をあらためて考え直してみたいという思いから実施するものです。欺かれてしまった自分たちへの戒めだけにとどまらず、芸術における「贋作/偽物と真作/本物」をめぐる議論の場を提供できればと考えております。(安田篤生館長あいさつより。パンフレットp.1)
贋作と判定される経緯は様々にあるが、展示の中での白眉は、ベルトラッキが使用した顔料がカンペンドンクの時代に用いられていた顔料に鑑みると一般的ではなかったことが示されていたことだ。つまり、ベルトラッキの使用する白の顔料(チタニウムホワイト)などを含む絵具の存在が、結果としてベルトラッキの足をすくったということである。
以下はパンフレットに寄せられた田口氏の論考からの引用である。ベルトラッキは、「「今なら、あらゆる自然科学的な鑑定を知った上で、誰にも見破られない絵を描くことができる」と宣戦布告する」。しかしながら、このように考えたとしても、「カンヴァス、結合剤、接着剤、ワニス、ラベルの繊維、スタンプのインク、そのほか作品を構成するありとあらゆる細部(ディテイル)が製造方法や原材料の地域、時代をうつす鑑となり、作品の出自を証言してしまう」と田口氏は述べる(パンフレットp.11)。
田口氏は「作り手が生きる時代の染み(染みに傍点)」と表現しているが、自分なりに考えると、時代とモノの網の目から人も作品も逃れることはできない。田口氏の議論から外れるかもしれないが、いくら過去に使われた材料と技法を駆使しようとも、獲得できるのは「本物らしさ」だけであろう。どのみち最初から真正性を獲得するのは無理な相談である。しかしながら、贋作に意味が無いわけではなく、贋作が成立するコンテクストを踏まえながらその技法や材料、モチーフなどを解剖するならば、それもまた美術史のひとつの水脈を形成していくことになるのだろう。これはおそらく真偽の判別の問題、さらには功罪の問題ではなく(それを検討することを否定するわけではないが)、作品・時代・人・モノetcの様々な比較の軸を用意し、美術を考える間口を広げていく……と考えた方が生産的な議論なのではないか(田口氏もまた「異質なものの比較」という論点を贋作展示において示している(p.12))。
最後に、《少女と白鳥》を間近で見て、その作品に対する自分の感想はどうか。受ける印象は何だったか。まず感じたのは、その色彩の豊かさであった。しかし、その豊かさは表現主義に由来するものというより、例えばゴーギャンのタヒチを題材にした作品たちを思わせる、南国のような豊かさである。また、カンペンドンクの他の作品と比べると、各モチーフの輪郭がはっきりとしすぎていて画面の統一感に欠けるのではないか、という気もする。空想的な世界観ではあるが、写実性を保持しすぎている点も気になった。しかしながら、「これがカンペンドンクの作品です」と言われても、その真偽を疑いもしなかったであろう。
上の的を外した感想のとおり、自分に美術鑑賞のセンスは無い。しかし、美術(美術館)を通して何かを考えたり、美術と社会の関係を考えることは下手の横好きで続けたいかもしれないと思った。そのとっかかりとして、作品を構成するマテリアルとそれらに対する科学鑑定があると認識することができたのは収穫だった。
20250810国立国会図書館(本館)に行ってきた話
先日、諸用で国立国会図書館(本館)に行ってきた。
ポリネシアン資料集めであれば、1日目は昼過ぎに到着し、食堂でカレーを食べて、閲覧席で爆睡、貸出依頼の期限に間に合わなくて閉館を迎えるといったところ。
そうも言っていられないので、出張中は黙々と資料集めに励む。以下では記憶を頼りに資料集めの流れを整理する。入館証はすでに持っていることを前提に話を進める。RTAだったらもっと事前準備をしっかりしていると思うが、そこまでの気力はない。
本館に入り、必要なもの(筆記用具、ノートPC、飲み物など)を指定の貸出ビニールバッグに詰め、その他の荷物は100円ロッカーにしまう。
本館…図書 新館…雑誌 という配置であり、基本はこの両方を往復する。新聞マイクロフィルムについては今回は使用しなかった。
国会図書館サーチ等で事前にあたりをつけておいた雑誌を10冊、一気に閲覧申請する(雑誌も図書も、自分で本棚から選ぶシステムではない)。
資料の到着には20分~30分ほどかかるので、その間に本館で必要そうな図書の閲覧申請を出す。これも到着に20分程度かかる。
ただ、自分の場合は今回、図書はあまり必要としなかったので、若干手持ち無沙汰となる。その場合は、デジタルコレクションの館内限定の資料を見繕い、印刷の申請をする。本館2階の図書の複写受付とは別に、奥の方にプリントアウトの受付がある。
なお、土曜日は来館者が多いので、館内限定資料の閲覧ができるPC席が埋まっていることもある。
頃合いを見て、新館2階に移動する。資料の受取を済ませ、台車に雑誌を乗せる。近くのベンチ・ソファに座って、ひとまずノートPCから複写申請をする。近くのプリンターから複写申請書を一気に印刷する。そして重要なのがここ。複写申請時に使う長いしおりを適量鷲掴みにする。今回の資料集めで、ここは隠れた攻略ポイントだと思った(自分だけ)。
台車を転がし、空いている席まで移動する。後はひたすら必要な箇所にしおりを挟み込み、複写申請書を埋めていく。雑誌は1冊単位で出てくることもあれば、半年~1年単位にまとめられた上でカバーがついていることもあるので、ひとつひとつの資料の重量が重く、それなりの重労働となる。
たまに、「ここもついでにコピーしておくか」という記事や論文が出てくることもある。こういう思わぬ出会いがあるのはありがたい。なお、時間やお金に余裕があれば、表紙・目次・奥付なども複写申請しておくと良い(が、申請書に細かく書くのはめんどくさい)。
台車ごと移動し、新館1階の受付で複写依頼をする。印刷サイズの確認などが発生する。通常とは異なる仕様での複写が必要な場合は丁寧に伝えておく。
複写作業が終わるのを待つ間に、本館に移動し、再び館内限定資料の印刷をするか、あるいは必要そうな図書を見繕う。あるいは本館6階の売店で何か買って食堂で休憩する。
頃合いを見て新館1階に戻り、複写した資料を受け取り、代金を払う。近くの台で複写漏れなどがないか確認する。問題なければ2階に戻り、資料を返却する。以下、これを数回繰り返す。
■その他
・お金を下ろすのを忘れてきた時は、館内(本館3階)にりそな銀行のATMがある。
・フリーwifiも使える。パスワードなどはそのあたりに案内があるはず。
・もし土曜日に、星陵会館で女性声優のイベントが開催されていて、昼の部と夜の部の間ちょっと時間が空くな、という時には暇つぶしに使えるかもしれない。国会図書館は日曜日は休館日なのでそこは注意(地味にトラップ)。
・これは食堂のカレー。じゃがいもがでかい。

20250727『すごいよ☆花林ちゃん!』カラオケコーナーの曲まとめ・その2
1年ぶりの更新である。
『すごいよ☆花林ちゃん!』(パーソナリティ:高橋花林、隔週火曜23:00~ YouTube・ニコニコ動画 セカンドショットちゃんねる)のコーナーのひとつにカラオケがある。
第313回までカラオケリクエストをまとめていたが、その後の更新をしていなかった。
過去記事参照↓
第358回までをまとめたので、ひとまずアップロードしておく。以下はいくつか備考。
・放送形態について、2024年5月から毎週→隔週の放送に変更となった。
・「AT」の表記はアフタートーク(ニコニコ動画限定)でのカラオケ。
・2025/6/10放送回は休止で第1回振り返り再放送。
・楽曲の発表年を付記している。
第358回(2025/7/22) ナイショの話/ClariS(2012年)
第357回(2025/7/8) 花火/aiko(1999年) ☆花林ちゃんリクエスト ※AT
第356回(2025/6/24) カラオケ無し
第355回(2025/5/27) ライラック/Mrs. GREEN APPLE(2024年)
第354回(2025/5/13) 風の谷のナウシカ/安田成美(1984年) ☆花林ちゃんリクエスト ※AT
第353回(2025/4/29) SAKURA/いきものがかり(2006年) ☆花林ちゃんリクエスト
第352回(2025/4/15) 碧いうさぎ/酒井法子(1995年)
第351回(2025/4/1) Northern lights/林原めぐみ(2002年)
第350回(2025/3/18) 君はロックを聴かない/あいみょん(2017年)
第349回(2025/3/4) コネクト/ClariS(2011年)
第348回(2025/2/18) Hey my friend/Tommy heavenly⁶(2004年)
第347回(2025/2/4) かわいいだけじゃだめですか?/CUTIE STREET(2024年) ☆花林ちゃんリクエスト
第346回(2025/1/21) となりのトトロ/井上あずみ(1988年)
第345回(2025/1/7) リニアブルーを聴きながら/UNISON SQUARE GARDEN(2012年)
第344回(2024/12/24) カラオケ無し(鈴木絵理ゲスト回)
第343回(2024/12/10) PEACH/大塚愛(2007年)
第342回(2024/11/26) カラオケ無し
第341回(2024/11/12) 木枯らしに抱かれて/小泉今日子(1986年) ※字幕無し?
第340回(2024/10/29) Groovy!/広瀬香美(1998年)
第339回(2024/10/15) カラオケ無し
第338回(2024/10/1) Diamonds/プリンセス プリンセス(1989年)
第337回(2024/9/17) 虹/Aqua Timez(2008年) ☆花林ちゃんリクエスト
第336回(2024/9/3) カラオケ無し(鹿野優以ゲスト回)
第335回(2024/8/20) カラオケ無し
第334回(2024/8/6) ambivalent world/神原駿河(CV:沢城みゆき)(2009年)
第333回(2024/7/23) 少年よ我に帰れ/やくしまるえつこ(2011年)
第332回(2024/7/9) 華奢なリップ feat.ちゃんみな/ジェニーハイ(2021年) ☆花林ちゃんリクエスト
第331回(2024/6/25) ケロッ!とマーチ/角田信朗&いはたじゅり(2004年)
第330回(2024/6/11) カラオケ無し
第329回(2024/5/28) 小さな恋のうた/MONGOL800(2001年)
第328回(2024/5/14) 遠いこの街で/皆谷尚美(1999年) ☆花林ちゃんリクエスト
第327回(2024/4/30) There will be love there -愛のある場所-/the brilliant green(1998年)
第326回(2024/4/23) プラチナ/坂本真綾(1999年)
第325回(2024/4/16) カラオケ無し
第324回(2024/4/9) さんぽ/井上あずみ(1988年) ☆花林ちゃんリクエスト
第323回(2024/4/2) TRUE/下川みくに(2002年)
第322回(2024/3/26) キョロちゃん絵かき歌/さねよしいさ子(2000年)
第321回(2024/3/19) Agapē/メロキュア(2002年)
第320回(2024/3/12) 君はロックを聴かない/あいみょん(2017年)
第319回(2024/3/5) カラオケ無し(立花日菜ゲスト回)
第318回(2024/2/27) カラオケ無し(立花日菜ゲスト回)
第317回(2024/2/20) カラオケ無し(立花日菜ゲスト回)
第316回(2024/2/13) カラオケ無し(立花日菜ゲスト回)
第315回(2024/2/6) L・O・V・E・L・Y 〜夢見るLOVELY BOY〜/Tommy february6(2004年)
第314回(2024/1/30) 綺麗ア・ラ・モード/中川翔子(2008年) ☆花林ちゃんリクエスト
20240719読了:畑中章宏,2024,『NHK 100分de名著 宮本常一 忘れられた日本人 歩く、見る、聞く』(NHK出版)
この前、民博に行ったこともあり、畑中章宏『NHK 100分de名著 宮本常一 忘れられた日本人 歩く、見る、聞く』を読んだ。民俗学者・宮本常一について勉強になった。
宮本常一の民俗学における位置づけについて、柳田国男や折口信夫は民間伝承などから「日本人の「心」」を探ろうとしたが、宮本は「目に見えない「心」ではなく、目に見える「もの」を民俗学の入り口」にしたというわかりやすい整理のされ方がされており、初学者にはありがたかった(p.5)。
「もの」への着目について考えてみると、渋沢敬三の「アチック・ミューゼアム」との関係が重要となる。1921年に設立、25年に改称したアチック・ミューゼアムは民具の収集・研究拠点となっていった(p.18)。
宮本は1939年にアチック・ミューゼアムの研究所員となり、調査・研究を進めるなかで「民具学」を提唱するようになる(pp.16-7)。特に、自身が周防大島の出身ということもあり、漁業に関する民具の研究に従事していく。
前回のエントリで民博に展示されていた水俣の漁業の民具も、あのような展示を試みることそのものが、宮本常一的な調査の系譜と延長にあるのかもしれない。ちなみに、アチック・ミューゼアムの資料は民博の資料の母体ともなった(p.20)。
本題は、『忘れられた日本人』なので、その点にも少し触れたい。同書のなかで一番有名なのは、「土佐源氏」になるだろう。その存在に関する事実・創作をめぐる議論や検証は行われているが、「土佐源氏」の意義や力点はそこには無いことが示唆されているように思う。
曰く、「土佐源氏」は「純粋な民族誌」としては逸脱しているかもしれないが、複数の馬喰いからの聞き書きに基づいた「象徴的なキャラクター」だったのではないか(p.76)。
土佐源氏に限らず、同書の人々が帯びる「象徴性」はなにゆえか。それは宮本が「歴史からこぼれ落ちた経験と記憶を象徴的に刻印しようとした」からではないかと著者は述べる(p.76)。
その他。日本の近代化の歴史を紐解くと、「移動する庶民」の存在が見えてくる。彼らは遍歴の過程で様々な浮き沈みを経験している。
そのように遍歴する「世間師」は宮本常一の父・善十郎もそうであった(p.100)。さらには、聞き書き、フィールドワーク、各地の農業指導に従事した宮本常一。そのような宮本常一自身もまた、「現代の世間師」そのものであったとまとめられている(p.101)。
「大きな歴史」(p.6)からこぼれ落ちる、「世間」と「生活」の痕跡や断片、「小さな歴史」をいかに辿っていくか、いかに記述するか。とても真似をすることはできないが、本書を介して宮本の思考や作法を学ぶことができた。
20240630「みんぱく創設50周年記念企画展「水俣病を伝える」」(於:国立民族学博物館)――「人類の進歩と調和」に打ち込む楔
昨年度と比べて新年度の業務が重く、この3ヶ月は割といっぱいいっぱいだった。昨年度は上半期に週1の遠方への出張があり、それが無いだけまだマシかもしれない。ここ1ヶ月ほどは、Xのいいね欄問題、ニコニコ動画問題で地味に楽しみも削られてしまった。
先々週、閉会直前に滑り込みで「みんぱく創設50周年記念企画展「水俣病を伝える」 」を見に行った。


多くの人にとっては(自分も含めて)もしかしたら教科書的知識で止まっているかもしれない水俣病について、水俣病と共にあり続ける地域社会の取り組みが紹介されていた。いくつかメモを記す。


「考証館の展示資料」について。ひとつポイントとなるのは、水俣病に関する社会運動についての展示であることはもちろんだが、個人的には「考証館を展示する」目的も果たされているのではないかと考えた。アーカイブ活動をアーカイブすると言えばいいだろうか。

「明神が鼻」の展示について。展示されている農業・漁業で使われてきた道具類は一見、変哲もない代物かもしれない。しかしそのことがかえって当地での暮らしの延長にこの公害が起こったことを感じさせる。これは民博ならではの展示かもしれない。

「魂石」について。「被害者やその関係者の手によって彫られたもので、おおくの生き物の命が失われたことを忘れてはならないという思いと、失われた魂がかえりつく場所になってほしいという願いが込められているという。」(キャプションより)

その他、石牟礼道子の直筆原稿の展示もあった。それから、チッソのネコ実験小屋の修復作業に関する映像も興味深かった。修復作業は民博が協力している。
さて、国立民族学博物館という場所・空間で水俣病関連の展示を行うことそのものに大きな意味合いがあると感じた。
素朴に、地理的な距離を考えると水俣の地まで足を運ぶことが難しい。比較的、他の勤め人と比べて多少は時間の融通がきく自分にとってもそう。
民博までのアクセスはもちろん遠くはあるが、比較的人口の多い大阪でこのような展示が行われたことにひとつの意義がある。
それだけでなく、民博の由来を踏まえてこの意味を考えてみたい。
「人類の進歩と調和」がテーマとして掲げられた1970年の大阪万博。その跡地に整備された万博記念公園に、民博は開館した(1977年)。
「人類の進歩と調和」が掲げられた年の国会は「公害国会」として記憶されている。公害対策基本法の成立は1967年。同法から経済調和条項が削除されたのもまた70年であった。
半世紀以上前に想定された「進歩と調和」の含意を自分は知るところではない。しかし、水俣病は決して過去の問題、終わった問題ではないという前提に立つならば、この地で水俣病関連の展示を行うことは、我々にこの半世紀間の「進歩と調和」の歩みがいかなるものだったのか、改めて内省させる機会になりうるだろう。
内省する構えだけでなく、率直に一連の出来事を知り、他者に伝えることが今を生きる一市民としての務めだと思う。
万博記念公園に来たのははじめてで、太陽の塔を生で見たのもはじめてだった。特に感動はない。


街なかにはミャクミャクさまのポスターなどが至るところに貼られていた。これもひとつの考現学だと思って撮影……。



20240407「特別展 海―生命のみなもと―」(於:名古屋市科学館)――生命の歴史と生き物の尊厳
名古屋市科学館で開催中の「特別展 海―生命のみなもと―」を見に行った。去年、国立科学博物館で開催していた展示の巡回。いくつか印象に残ったこと、考えたことのみメモに残しておく。


少しショッキングな展示の写真だけど、これはストランディング調査についてのもの。ストランディングはざっくり海の生物が海岸に座礁して死んでしまう現象のこと。集団座礁、大量座礁のことを「マスストランディング」と言う。ストランディングの結果死んでしまった個体を利用して、様々な学術調査が行われる。
左側はシワハイルカの頭骨、右側はユメゴンドウの頭骨。全体像でなく頭骨のみの展示が、ある種の不気味さと共に集団座礁の不可解さを喚起させる。
学術的意義云々の前に、言ってしまえば死骸がこのように展示されてしまうことに対して、少し違和感を覚えてしまった。展示と配列の無骨さが、各々の個体をマスとして、データとして扱っていることを象徴しているように思える。もう少し生に対してのリスペクトは無いものか、ナイーブとしか言いようがないかもしれないが、率直にそのように思った。
しかし、そんなことを言い出したら展示というものが成り立たなくなるので、これはいちゃもんでしかないのだが(少なくとも、一体・全体だけならまだ印象は違ったように思う。そうするとマスさは表せないが)。

それじゃあ、このホッキョクグマの剥製はどうなのか。かわいいし、良いんじゃないですか。これは生に対してのリスペクトがあると思いました(本当?)
じゃあ、二万年前の港川人頭骨はどうか?これも正直どうなのかと思うが、さすがに二万年も前なので、尊厳もへったくれも無いかもしれない。
数十年生きてきて今更という感じはするが、死んだもの、かつて生物だったものが展示されていることに対して、怖くなってきました、今。
この展示会そのものが、生命のはじまりを海から捉えるというコンセプトを核としており、言うなれば気の遠くなるような時間の果てに、原生生物含めて生物の生と死のサイクルと蓄積が続いていることを示している、と思う。
我々ヒトは言ってしまえばかつて魚だったこともそうだし(「私たちをふくむ四肢動物は、デボン紀に肉鰭類の一群から進化しました。四肢動物の4本のあしは、祖先にあたる肉鰭類がもっていた肉質のひれから進化した構造です」(図録p.33))、マリンスノー(植物プランクトンの遺骸等)を食べて生きる深海生物もそう。
展示の趣旨とはずれるが、生き物に尊厳があると人間が捉えることは、生命の圧倒的な歴史の前に意味をなさないのだろうか。どうなんでしょうか。そんなことを考えた。
その他、海洋調査に関する最近の動向(ドローンとかアイソロギングとか、熱水からの金回収とか)についても知ることができ、これもおもしろかったな。

20240304企画展「多摩ニュータウンノ色」(於:パルテノン多摩ミュージアム)――外壁に映し出す色と人々の夢
知人の歓送会が開かれるということで、例によって上京した。高校を卒業して以来会うことがなく、呼んでもらってありがたい。
歓送会だけに出てとんぼ返りするのもなんだかなと思ったので、とりあえず一泊した。特に行きたい場所も無く、翌日どうしようかなと、考えなしで動いていた。
パルテノン多摩ミュージアムで「企画展 多摩ニュータウンノ色」という展示会を開催しているということで、はるばる多摩センターまで行くことにした。
しかし、途中で京王線の調布駅でトラブルがあり、電車が止まってしまった。仕方なく、つつじヶ丘から調布まで歩くことにした。つつじヶ丘の日高屋では、おっさんたちが平日の昼間から酒盛りをしていた。

学生時代は京王線を使うことが比較的多かったが、調布より東側はあまり歩いたこともなかった。とはいえどこか見慣れた、懐かしい景色が広がっていた。狭く入り組んだ路地に吸い付く数々のアパート、家々の間に点在する畑、駅前の商店街。
電車の再開まで調布で休憩した後、多摩センターに向かう。調布の猿田彦珈琲で食べたピスタチオのアイスが美味しかった(写真無し)。

展示会について。「多摩ニュータウンらしい色ってなんだろう?」という問いとコンセプトに導かれた展示会だった。集合住宅の外装、外壁の色に着目し、その色彩の地域差や変遷を調べて発表するというものだった。展示物の調査に、「市民学芸員」が積極的に関与しているのも大きな特徴だと思う。

風景には、地域らしさをもたらすさまざまな要素が含まれ、建築物は重要な要素のひとつです。建築物には形と色の情報が含まれていますが、多摩ニュータウンの集合住宅の色は多摩ニュータウンらしい風景を形成する要素の一つであると考えられます。また、集合住宅では定期的に外壁の塗り替えがおこなわれており、多摩ニュータウンでは色の変遷もあります。
そういったことから、市民有志で調査団を結成し、現在の多摩ニュータウンの団地外壁の色を記録するための調査を実施しました。また、当館が所蔵する写真資料などをもとに過去の集合住宅の色についても調査をおこない、それらの成果を取りまとめ、展示をおこないます。
展示の冒頭、この展示会のコンセプトについて、ジャン・フィリップ・ランクロの『フランスの色彩』にある「色彩の地理学」が契機になったことが示されていた。
ランクロは、地域によって用いられる色彩の社会的な違い、文化的な違いについて検討している。この議論に基づいて、ニュータウンの色彩について考えてみようということのようである。
各団地の色彩の特徴は、住区によって異なりがあるのだが、年代別に集計し直してみると、1970年代のベースカラーは色が薄く、80年代は一部で濃い色、90年代はその中間に変容していく傾向があるようだ。
ここで少し思ったのは、外壁や外装に用いることのできる塗料の存在についてである。大規模なニュータウンが造成される際に、おそらく多くの塗料が必要になったのではないかと予想する。それらを大量生産し、調達するにふさわしい色はどのような色だったのか。薄い色の方が容易に調達できたのではないか。など、ニュータウンを構成するマテリアルがいかに規格化され、生み出されてきたか、気になった。
他方、ニュータウンの中でも一際目立つ色彩なのが、南大沢(第15地区)のベルコリーヌ南大沢であろう。「南欧の山岳都市」をテーマに建築された洋風の住宅は、その外装のベースカラーに、「赤みを帯びた茶色」が多く使われている。


比較的地味な色彩のニュータウンのなかで、ベルコリーヌ南大沢はバブル時代の名残を思わせる派手さがあった。自分、住めます。住まわしてください。
展示物としては、他に「映像に見る団地の建物の色」というものがあり、『多摩ニュータウン 72』(1972年、24分9秒)、『多摩ニュータウン 21世紀の豊かなまちづくりをめざして』(1985年、30分1秒)が上映されていた(両方、企画:東京都、制作:日本映画新社)。前者の『多摩ニュータウン 72』を食い入るように見てしまった。
ニュータウンが造成される前後の、丘陵の様子が記録として残されていた。丘陵に少しずつ団地が造成されていく状況は、良くも悪くもグロテスクであった。ニュータウンに引っ越してきた「新住民」たちの、新生活に胸を躍らせる様子には、「夢」が存在していた約半世紀前の時代状況を感じさせるものがあった。
今の視点からすると、造成当初のニュータウンの外装の色は、もしかしたら「色が薄い」と感じられるかもしれない。しかしながら、映像の中にいる彼らにとっては、その色はどのように感じられていたのだろうか。昔ながらの家々と比べたら、光り輝いていた可能性はなかっただろうか。その意味では、ニュータウンに引っ越してくる前、もともと人々が馴染んでいた環境で「当たり前」と認識していた色がどのようなものだったのか、気になった。
帰りに、過去の企画展の図録を購入。そのうち読みたい。

20240214「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展(於:世田谷文化生活情報センター・生活工房)――協働と連帯に支えられたまちづくりの意義?
2月10日~13日の3泊4日で東京に行っていた。10日は村上奈津実さんの2nd写真集発売記念イベント(於:ゲーマーズ秋葉原本店)、11日は第2回みけさなぴかりん(於:飛行船シアター)昼夜、12日は「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展を見たあと、知人と昼から夜遅くまでひたすら飲んでいた。
「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展は三軒茶屋駅を降りてすぐそこにある世田谷文化生活情報センター・生活工房で開催されている。会期は2024/1/31-4/21。
世田谷区は、鉄道が敷設されたことをきっかけとして1920年代に都市化が始まり、今日にいたるまで東京の郊外として発展してきました。たくさんの人が集まり住むところには、そこに独自の生活文化が生まれます。一世紀に及ぶ都市化のなか、世田谷で発達したそのような生活文化の一つに、「まちづくり」があります。
この言葉が広く世の中の人々に知れ渡るようになったのは1970年代のことです。世田谷区では住民参加を掲げ、1980年代からまちづくりや公共施設の整備が進められました。また、よりよい地域づくりには区民の参加が不可欠として、1990年代以降、区民のさまざまなまちづくりの活動を支援するしくみが生まれました。
まちづくりは、世田谷の中でどのように発達し、何を残してきたのでしょうか。そしてそれは地域の人々の「まちと暮らし」をどう豊かにしてきたのでしょうか。
本展では、「まちづくりの空間」、「地形と都市計画」、「グラフィックデザインと都市デザイン」、「ワークショップと道具箱」、「市民のデザイン」の5つのパートにより、世田谷において住民参加のまちづくりがつくり出してきた「まち」と、そこで繰り広げられてきた「暮らし」を見渡します。
(参考)生活工房 [展示]世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年―
https://www.setagaya-ldc.net/program/564/
展示会は次の5つのセクションで構成されていた。
1 まちづくりの空間
2 地形と都市計画
3 グラフィックデザインと都市デザイン
4 ワークショップと道具箱
5 市民のデザイン
いくつか、印象に残った展示をまとめたい。
■1 まちづくりの空間
「シェア奥沢」と言う地域のイベントやコワーキングスペースとして使われている一軒家の模型が展示されていた。
(参考 シェア奥沢 https://share-okusawa.jp/ )


もともと1926年に建造された民家が長らく空き家として放置されていたのだが、2013年以降に地域の空き家活用事業の一環として上述のスペースとして使われるようになったという経緯がある。
この模型を見ながら、同じ世田谷でも場所は違うが、サザエさん一家が住んでいるあの平屋のことを思い出していた。
世田谷で広々とした平屋に住むなんていくらお金を積めば良いのか(これはシェアスペースとはいえ)と、関係ないことを考えてしまった。自分、マスオさんいけます、やらせてください。
他には下北沢周辺、小田急線沿線周辺の模型、「太子堂2・3丁目地区」の模型なども展示されていた。東京に住んでいたときもこの周辺に縁があった方ではないので、あまり土地勘もなく、もし土地勘があればもっと楽しむことができたのかな~とも思った。


■3 グラフィックデザインと都市デザイン
印象に残っている展示のひとつとして、「都市デザイン室のポスター」がある。展示スペースとしては控えめだけれども、ポスターデザインのセンスがかなり光っている。この当時の背景として、解説の一部を引用する。
「世田谷のまちづくりは1975年の区長公選から始まりました。いわば、自治体としての独立とともに、まちづくりが始まったのです。「都市デザイン」や「都市美」という言葉が掲げられ、世田谷らしい美しさを持った都市のあり方についての模索と実践が始まります。」
「都市美」は横浜市や神戸市においても、70年代後半のひとつのキーワードだったようだ。しかし、海、山の内無い世田谷における「都市美」は、「暮らしに近い空間のデザイン」(解説より)に照準を定めることになった。

都市デザイン室のポスターのなかでも、この「自然を美術すると都市になった!」というキャッチコピーのポスターがお気に入り。「美術する」という、「名詞+する」の独特な言い回しが1980年代っぽいと勝手に思っている。

また、そのキャッチコピーの内容をよくよく考えると意味がわかるようでわからない。素朴に田園都市的なものを想定すれば良いのかもしれないが。1980年代において、「自然を美術する」とはどういうことか?また、そのことによって「都市になった」とはどういうことか?さらには「なった!」と断言してしまっている点も、世田谷と縁遠い者にとっては実は不思議である。このような問いを誘発することで、住民のコミュニティや生活について考えさせる効果がもしかしたらあるのかもしれない、無いのかもしれない。
なお、世田谷の都市デザイン室については下記を参照。
「世田谷の都市デザイン」
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/004/001/d00148715.html
次に、「世田谷清掃工場の煙突コンペ」について。これもおもしろい取り組みだと思った。清掃工場を身近に感じさせる、住民が当事者として清掃工場と関わる試みなのだろう。コンペ用ポスター兼応募用紙の文面を一部引用する。
「どこからでも見えるノッポの煙突。だから街に似合うすてきな色にしたい。」
実際の応募作品も展示されていた。応募用紙にデザインを描き、丸めることで作品になるという仕掛け。


もちろん、清掃工場と地域の関係性がこのデザインのエピソードだけで終わっては意味がないと思いはするのだが、「ゴミ処理」が都市の背景として溶け込み、後景化することに抗うためのひとつの役割を担っているのだと思う。
■4 ワークショップと道具箱
まちづくりにおいて用いられる「ワークショップ」の日本での展開を考えるにあたって参考になる展示だった。ワークショップ史と言えば良いのか、そのような研究があれば基本文献となるような当時の文献が展示されていた。また実際にワークショップで使用した模造紙なども展示されており、今の時点から振り返ると貴重な資料であった。貴重な資料であった、というよりは今そうなりつつある、と言った方が正確かもしれない。


■5 市民のデザイン
住民の様々な活動が紹介されていた。生物多様性、自然保護、居場所づくりなど。個人的には、子どもたちのプレーパークに関する展示で、プレーパークができる前後の当時の記録映像を流していたのだけど、それを腰をすえて見てみたいなと思った(なにせ40分の映像が3本をその場で見るのは厳しい)。

■おわりに
図録などが無いのでその点は残念だったけれど、まちづくりの歴史にはその「まちづくり」という発想そのものも含めて興味があったので見ることができてよかった。
また、まちづくりに関与する自然の条件、郊外開発の歴史、様々な協議会といった集団の活動(またその歴史)、行政の果たす先進的な取り組み(特に個人的には「デザイン」について勉強になった)、住民と行政の関係……色々な角度から「まちづくり」について考えることのできる展示会だった。
多くのアクターの協働と連帯に基づく「まちづくり」の意義を知ることができた一方で、そのような「まちづくり」に対する批判についてはどのようなものがあり、またありうるか、それはそれでまた別の機会に考えられればとも思う。
20231224「石川直樹:ASCENT OF 14 ー14座へ」展(於:日比谷図書文化館)――山と文体の崇高さ
先日、出張で東京に行った。途中立ち寄った日比谷公園内にある日比谷図書文化館で、「石川直樹:ASCENT OF 14 ー14座へ」展を見た。ふらっと散歩するだけでいろいろと展示会に遭遇できる、東京の文化的蓄積の厚さを感じた。
石川氏のことは恥ずかしながら知らなかったが、おもしろい展覧会だった。タイトルの「14座」は、「ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈にまたがる8000m峰、14の山々を指しています」とのこと。
(出典:https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/information/20231120-hibiyaexhibition_ascentof14/)
時間の都合上、動画をじっくり見ることはできなかったが、石川氏の撮影した数々の写真は、ヒマラヤの山々の美しさだけでなく、雄大さ、荘厳さ、畏怖を伝えてくれる。
それだけでなく、登山を支えるベースキャンプ、ふもとの町などを写した写真からは、山と共にある生活の息吹を感じる。
展覧会の構成で大きな特徴となるのは、写真や動画の展示だけでなく、ヒマラヤ周辺の山々や登山を題材とした書籍の紹介である。14の山それぞれに対応するテキストの抜粋と書籍の実物も並べて展示されていた。書籍は、特に1950年代後半にかけて邦訳されたものが多かったように思う。
率直に、写真、動画だけでなく、文字で山そのものを、登山を伝えることの奥深さに感じ入った。なぜか。
ひとつには、その訳文の正確さがあるのだと思う。訳文が山の美しさ、雄大さ、そして自然の厳しさ、怖さを臨場感を持って伝えてくれる。おそらく原著の原文からしてそうだと思うのだが、山を伝えるメディアの質も量も制約がある時代のなかで、正確さを伝える文章は自ずと(修辞的な意味で?)美しさを帯びるのだと思う。その原文を余すところなく活かすための翻訳の努力がより一層美しく、これもまた机上で行われる登山なのかもしれない。
以下はただの妄想だが、なぜ正確さが要請されるのか。単純に、記録としての正確さが求められるからなのだろう。地形、気象、文化、登山技術、健康状態等、どれひとつとっても(完璧さは土台無理だとはいえ)正確さを損ねることは、自身や後続の登山者の生死にかかわることになるように思う。
もちろんこのことは、登山に限ることではなく、記録とはえてしてそういうものなのかもしれない。しかし、登山に限ってみれば、もしかしたらそのような、身震いがするほどに差し迫った、ある種強迫的に精緻さを研ぎ澄ませる文体のあり方は、確かに美しいのではあるが、美しさだけでは捉えきれない、一種独特の崇高さを我々にもたらしてくれるようにも思う(ここまで書いておいて、展覧会で読んだ文章が本当のところどの程度正確さにおいて妥当性があるものなのか、実のところ判断はついていない)。
ここで出てきた「崇高さ」について少し考えてみよう。井奥陽子『近代美学入門』の第4章は「崇高」について取り上げている。
自然の景色はプロポーションで捉えることができず、秩序や調和も見いだされません。それが近代になると、そうした不規則や無秩序あるいは不調和が肯定的に捉えられ、ある種の美しさが見いだされるようになるのです。これは大きな転換でした。
近代以前のヨーロッパの人々にとって、自然の無秩序さをもっともありありと感じさせるものが、雄大でときに凶暴な大自然でした。(中略)
こうした大自然を前にすると、自然の大きさや力に恐ろしさを感じると同時に、心の高まりを覚えることがあります。(中略)(中略)それまでの「美」では説明できない、恐怖と混じり合った高揚感という、この矛盾するような感情を言い表すために用いられるようになったのが「崇高」の概念です。(pp.194-5)
まず、自分がヒマラヤのエベレスト等の写真を見て覚えた感情は、一種の崇高さなのだと思う。それだけでなく、自分はその崇高さを活写した文章においても、崇高さを覚えたのではないか(ここで、自分は山を直接見たわけではなく、写真を通してそれを覚えていることにも注意したい)。
元来、「崇高」は、「言葉がもつ崇高さを指していたものが、自然がもつ崇高さも(むしろこちらをおもに)指すものへと変化」(p.212)していったという事情もあるようである。
(ここで、「美」と対比されるところの「崇高」(バーク)、自然に対して挫折しつつも立ち向かう人間の理性の「崇高」(カント)、その後のピクチャレスクの展開等、細かな美学史的議論はあるが、その点は省略する。)
思いつき程度の話でしかないが、修辞学や文体論、文芸理論的意味での「崇高さ」と、荘厳な大自然の険しさ等に感じ入る「崇高さ」を同時に味わうことのできるメディアとして、登山に関する紀行文や記録があるのではないか。そのように考えた。
参考
井奥陽子,2023,『近代美学入門』(ちくま新書)






20231209読了:栗原康,2015,『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)
1ヶ月くらい前に栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい――「生の負債」からの解放宣言』(タバブックス)を読んだ。現在は筑摩書房から増補版文庫が出ている。
いかんせんしばらく前に読んだので、内容もおぼろげなのだが、これをひとつの(裏)日本思想史の本として読むことを考えた。実際、徹頭徹尾そういう本なのだと勝手に思っている。3.11を契機に社会の底が抜けた感覚。社会のおかしさ、変わらなさ、その乗り越え方を、断想的かもしれないが、日本思想史を辿りつつ描いている(といっても自分は日本思想史に詳しいわけではない)。
どうにもこうにも、自分自身が「市民社会」「福祉国家」に囚われた窓際勤労青年のメンタリティで生きており、自分ごとを交えた「社会エッセイ」としてのエッセンスをつかみあぐねているから、そういう読みの方向を考えるのだと思う。どちらかといえば、自分は「豚小屋に火を放て」の「かの女」として生活しているようなもの(自分と「かの女」の落差については、ここでは置いておく)。
他方で、「かの女」が言い放つひとことひとことは、本当につらい。なぜこんなに後ろめたさを感じながら生きていかなきゃならないのか。以下は本書のハイライトのひとつだと思う。
「もう我慢できない。おまえは家庭をもつ、子どもをもつということがどういうことなのかわかっているのか。社会人として、大人として、ちゃんとするということでしょう。正社員になって、毎日つらいとおもいながら、それをたえつづけるのが大人なんだ。やりたいことなんてやってはいけない。仕事なんていくらでもあるのに、やりたいことしかやろうとしないのは、わがままな子どもが駄々をこねているようなものだ。」わたしも売りことばに買いことばで、やりたいことをやらないなら、なにがたのしくて生きているんだときくと、かの女は即答だ。「ショッピングにきまっているでしょう。おまえは研究がたのしいとか、散歩がてらデモにいってくるとか、カネをつかわなくてもたのしいことはあるとかいっているけど、貧乏くさくて気持ちわるいんだよ。そんなことをいっているからはたらかないんだ。大人はみんなつらいおもいをしてカネを稼いで、それをつかうことに誇りをもっているんだ。貧乏はいやだ、貧乏はいやだ。」(pp.38-9)
勤労倫理・イエ規範・それらの穴埋めとしての刹那的な消費のあり方。これが三位一体で襲いかかってきて泣きそうになる。自分は今もたいがい貧乏だが、「貧乏はいやだ」「お金の無い大人(親)の姿はなんと情けないのか」と子ども心に思い続けていたこともついでに思い出す(自分の家族は失業などの憂き目にあってきた)。
著者はここで伊藤野枝の恋愛論にフォーカスを当てる。詳細は省くが、「結婚」に制約され収斂していく恋愛とは逸れる、「友情に裏づけられた恋」の可能性を浮かび上がらせる(pp.48-9)。言ってしまえば、「自分や他人の生命を尊重すること」(p.49)が何よりも大事なのである。
だからこそ、著者は「国家」や「社会」を超える可能性を秘めていた、徳川綱吉(生類憐れみの令)に着目したりもしている(p.27)。とはいえ、徳川綱吉自身は結局江戸の人だし、後でサツマイモの話で出てくる徳川吉宗も江戸の人である。江戸時代において、徳川家を除いて、江戸時代を終わらせるような爆発的な思想はなかったのか、その点は気になった。
例えば、参照されているスコット『ゾミア』のなかでは、国家から逃れる「逃散農民」が取り上げられている(pp.74-5)。これを参照点としつつ、鎌倉時代の一遍上人が登場したりもする。では、やはり江戸時代真っ只中において江戸を超える可能性は何か?
たしかに、江戸末期の蘭学者・高野長英を論ずるくだりは、その可能性を感じさせる。ただ、高野がなりふり構わず勉強をしたいと遍歴を続けたそれは、言ってしまえば幕府から逃げつつ、知識や技術を磨いていくということだと思う。『ゾミア』的なイモの話とは少しずれる(もちろん、『ゾミア』はイモだけの話ではなく、いろんな逃走のあり方があるとは思うが)。
とりとめもないことを書いてきたが、最後に。「だまってトイレをつまらせろ――船本洲治のサボタージュ論」もおもしろかった。「市民社会」の「正規労働者」とは異なる、サボタージュのあり方が存在する。
日雇労働者は、経営者と交渉するつもりなんてないし、そもそも、そんな交渉は成立しない。おなじ会社員ではないし、おなじ市民社会の人間とはおもわれていないからだ。それなのに、経営者にチリ紙を要求するなんて時間のムダだろう。そんなヒマありゃしない。だったらということで、クソをしたら、新聞紙でも雑誌でも、かたかろうがなんだろうが、あるものでケツをふいて、バンバンながしてしまうしかない。ひとは腹がいたくなったらクソをするのであり、ケツをふくのである。トイレ、こわれる。自然にだ。トイレがなければ、はたらけない。じゃあサボろう。あとは修理費をはらうのか、チリ紙をおくのか、経営者が自分でえらべばいいことだ。だまってトイレをつまらせろ。それがサボタージュの哲学だ。(pp.208-9)
船本の思想を「社会の総寄せ場化」を背景として掘り起こしているくだりである。とはいえ、現代の非正規雇用の改善をめぐる状況はどちらかといえば、「市民社会」的な労使交渉のあり方に振れている気もする。どうだろうか。
(2023/12/9, 19:57追記)船本の壮絶な生き様を見るに、その生き様の前で「市民社会が~」とは口が裂けても言えない、そのような迫力がある。