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20240214「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展(於:世田谷文化生活情報センター・生活工房)――協働と連帯に支えられたまちづくりの意義?

 2月10日~13日の3泊4日で東京に行っていた。10日は村上奈津実さんの2nd写真集発売記念イベント(於:ゲーマーズ秋葉原本店)、11日は第2回みけさなぴかりん(於:飛行船シアター)昼夜、12日は「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展を見たあと、知人と昼から夜遅くまでひたすら飲んでいた。

 「世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年」展は三軒茶屋駅を降りてすぐそこにある世田谷文化生活情報センター・生活工房で開催されている。会期は2024/1/31-4/21。

世田谷区は、鉄道が敷設されたことをきっかけとして1920年代に都市化が始まり、今日にいたるまで東京の郊外として発展してきました。たくさんの人が集まり住むところには、そこに独自の生活文化が生まれます。一世紀に及ぶ都市化のなか、世田谷で発達したそのような生活文化の一つに、「まちづくり」があります。

この言葉が広く世の中の人々に知れ渡るようになったのは1970年代のことです。世田谷区では住民参加を掲げ、1980年代からまちづくりや公共施設の整備が進められました。また、よりよい地域づくりには区民の参加が不可欠として、1990年代以降、区民のさまざまなまちづくりの活動を支援するしくみが生まれました。

まちづくりは、世田谷の中でどのように発達し、何を残してきたのでしょうか。そしてそれは地域の人々の「まちと暮らし」をどう豊かにしてきたのでしょうか。

本展では、「まちづくりの空間」、「地形と都市計画」、「グラフィックデザインと都市デザイン」、「ワークショップと道具箱」、「市民のデザイン」の5つのパートにより、世田谷において住民参加のまちづくりがつくり出してきた「まち」と、そこで繰り広げられてきた「暮らし」を見渡します。

(参考)生活工房  [展示]世田谷のまちと暮らしのチカラ―まちづくりの歩み50年―
https://www.setagaya-ldc.net/program/564/

 展示会は次の5つのセクションで構成されていた。

1 まちづくりの空間
2 地形と都市計画
3 グラフィックデザインと都市デザイン
4 ワークショップと道具箱
5 市民のデザイン

 いくつか、印象に残った展示をまとめたい。

■1 まちづくりの空間

 「シェア奥沢」と言う地域のイベントやコワーキングスペースとして使われている一軒家の模型が展示されていた。
 (参考 シェア奥沢 https://share-okusawa.jp/

シェア奥沢・その1

シェア奥沢・その2

 もともと1926年に建造された民家が長らく空き家として放置されていたのだが、2013年以降に地域の空き家活用事業の一環として上述のスペースとして使われるようになったという経緯がある。

 この模型を見ながら、同じ世田谷でも場所は違うが、サザエさん一家が住んでいるあの平屋のことを思い出していた。

 世田谷で広々とした平屋に住むなんていくらお金を積めば良いのか(これはシェアスペースとはいえ)と、関係ないことを考えてしまった。自分、マスオさんいけます、やらせてください。

 他には下北沢周辺、小田急線沿線周辺の模型、「太子堂2・3丁目地区」の模型なども展示されていた。東京に住んでいたときもこの周辺に縁があった方ではないので、あまり土地勘もなく、もし土地勘があればもっと楽しむことができたのかな~とも思った。

ららら下北以上~原宿未満~

太子堂2・3丁目地区

■3 グラフィックデザインと都市デザイン

 印象に残っている展示のひとつとして、「都市デザイン室のポスター」がある。展示スペースとしては控えめだけれども、ポスターデザインのセンスがかなり光っている。この当時の背景として、解説の一部を引用する。

「世田谷のまちづくりは1975年の区長公選から始まりました。いわば、自治体としての独立とともに、まちづくりが始まったのです。「都市デザイン」や「都市美」という言葉が掲げられ、世田谷らしい美しさを持った都市のあり方についての模索と実践が始まります。」

 「都市美」は横浜市や神戸市においても、70年代後半のひとつのキーワードだったようだ。しかし、海、山の内無い世田谷における「都市美」は、「暮らしに近い空間のデザイン」(解説より)に照準を定めることになった。

都市デザイン室・ポスター

 都市デザイン室のポスターのなかでも、この「自然を美術すると都市になった!」というキャッチコピーのポスターがお気に入り。「美術する」という、「名詞+する」の独特な言い回しが1980年代っぽいと勝手に思っている。

「自然を美術すると都市になった!」なるほどね(何もわかっていない)

 また、そのキャッチコピーの内容をよくよく考えると意味がわかるようでわからない。素朴に田園都市的なものを想定すれば良いのかもしれないが。1980年代において、「自然を美術する」とはどういうことか?また、そのことによって「都市になった」とはどういうことか?さらには「なった!」と断言してしまっている点も、世田谷と縁遠い者にとっては実は不思議である。このような問いを誘発することで、住民のコミュニティや生活について考えさせる効果がもしかしたらあるのかもしれない、無いのかもしれない。

 なお、世田谷の都市デザイン室については下記を参照。
「世田谷の都市デザイン」
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/sumai/004/001/d00148715.html

 次に、「世田谷清掃工場の煙突コンペ」について。これもおもしろい取り組みだと思った。清掃工場を身近に感じさせる、住民が当事者として清掃工場と関わる試みなのだろう。コンペ用ポスター兼応募用紙の文面を一部引用する。

「どこからでも見えるノッポの煙突。だから街に似合うすてきな色にしたい。」

 実際の応募作品も展示されていた。応募用紙にデザインを描き、丸めることで作品になるという仕掛け。

清掃工場煙突デザインコンペのポスター

煙突デザインの応募作品

 もちろん、清掃工場と地域の関係性がこのデザインのエピソードだけで終わっては意味がないと思いはするのだが、「ゴミ処理」が都市の背景として溶け込み、後景化することに抗うためのひとつの役割を担っているのだと思う。

■4 ワークショップと道具箱

 まちづくりにおいて用いられる「ワークショップ」の日本での展開を考えるにあたって参考になる展示だった。ワークショップ史と言えば良いのか、そのような研究があれば基本文献となるような当時の文献が展示されていた。また実際にワークショップで使用した模造紙なども展示されており、今の時点から振り返ると貴重な資料であった。貴重な資料であった、というよりは今そうなりつつある、と言った方が正確かもしれない。

ワークショップ・基本文献

ワークショップ・模造紙

■5 市民のデザイン

 住民の様々な活動が紹介されていた。生物多様性、自然保護、居場所づくりなど。個人的には、子どもたちのプレーパークに関する展示で、プレーパークができる前後の当時の記録映像を流していたのだけど、それを腰をすえて見てみたいなと思った(なにせ40分の映像が3本をその場で見るのは厳しい)。

プレーパーク関連

■おわりに

 図録などが無いのでその点は残念だったけれど、まちづくりの歴史にはその「まちづくり」という発想そのものも含めて興味があったので見ることができてよかった。

 また、まちづくりに関与する自然の条件、郊外開発の歴史、様々な協議会といった集団の活動(またその歴史)、行政の果たす先進的な取り組み(特に個人的には「デザイン」について勉強になった)、住民と行政の関係……色々な角度から「まちづくり」について考えることのできる展示会だった。

 多くのアクターの協働と連帯に基づく「まちづくり」の意義を知ることができた一方で、そのような「まちづくり」に対する批判についてはどのようなものがあり、またありうるか、それはそれでまた別の機会に考えられればとも思う。