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X(旧Twitter)の避難所

20240304企画展「多摩ニュータウンノ色」(於:パルテノン多摩ミュージアム)――外壁に映し出す色と人々の夢

 知人の歓送会が開かれるということで、例によって上京した。高校を卒業して以来会うことがなく、呼んでもらってありがたい。
 
 歓送会だけに出てとんぼ返りするのもなんだかなと思ったので、とりあえず一泊した。特に行きたい場所も無く、翌日どうしようかなと、考えなしで動いていた。

 パルテノン多摩ミュージアムで「企画展 多摩ニュータウンノ色」という展示会を開催しているということで、はるばる多摩センターまで行くことにした。

 しかし、途中で京王線調布駅でトラブルがあり、電車が止まってしまった。仕方なく、つつじヶ丘から調布まで歩くことにした。つつじヶ丘の日高屋では、おっさんたちが平日の昼間から酒盛りをしていた。

野川

 学生時代は京王線を使うことが比較的多かったが、調布より東側はあまり歩いたこともなかった。とはいえどこか見慣れた、懐かしい景色が広がっていた。狭く入り組んだ路地に吸い付く数々のアパート、家々の間に点在する畑、駅前の商店街。

 電車の再開まで調布で休憩した後、多摩センターに向かう。調布の猿田彦珈琲で食べたピスタチオのアイスが美味しかった(写真無し)。

調布駅

 展示会について。「多摩ニュータウンらしい色ってなんだろう?」という問いとコンセプトに導かれた展示会だった。集合住宅の外装、外壁の色に着目し、その色彩の地域差や変遷を調べて発表するというものだった。展示物の調査に、「市民学芸員」が積極的に関与しているのも大きな特徴だと思う。

パルテノン多摩

風景には、地域らしさをもたらすさまざまな要素が含まれ、建築物は重要な要素のひとつです。建築物には形と色の情報が含まれていますが、多摩ニュータウンの集合住宅の色は多摩ニュータウンらしい風景を形成する要素の一つであると考えられます。また、集合住宅では定期的に外壁の塗り替えがおこなわれており、多摩ニュータウンでは色の変遷もあります。

そういったことから、市民有志で調査団を結成し、現在の多摩ニュータウンの団地外壁の色を記録するための調査を実施しました。また、当館が所蔵する写真資料などをもとに過去の集合住宅の色についても調査をおこない、それらの成果を取りまとめ、展示をおこないます。

色という視点から、多摩ニュータウンの特徴やアイデンティティについて考えてみませんか。

パルテノン多摩 https://www.parthenon.or.jp/event/202311exhibition/


 展示の冒頭、この展示会のコンセプトについて、ジャン・フィリップ・ランクロの『フランスの色彩』にある「色彩の地理学」が契機になったことが示されていた。

 ランクロは、地域によって用いられる色彩の社会的な違い、文化的な違いについて検討している。この議論に基づいて、ニュータウンの色彩について考えてみようということのようである。

 各団地の色彩の特徴は、住区によって異なりがあるのだが、年代別に集計し直してみると、1970年代のベースカラーは色が薄く、80年代は一部で濃い色、90年代はその中間に変容していく傾向があるようだ。

 ここで少し思ったのは、外壁や外装に用いることのできる塗料の存在についてである。大規模なニュータウンが造成される際に、おそらく多くの塗料が必要になったのではないかと予想する。それらを大量生産し、調達するにふさわしい色はどのような色だったのか。薄い色の方が容易に調達できたのではないか。など、ニュータウンを構成するマテリアルがいかに規格化され、生み出されてきたか、気になった。

 他方、ニュータウンの中でも一際目立つ色彩なのが、南大沢(第15地区)のベルコリーヌ南大沢であろう。「南欧の山岳都市」をテーマに建築された洋風の住宅は、その外装のベースカラーに、「赤みを帯びた茶色」が多く使われている。

永山地区の色

南大沢地区の色

 比較的地味な色彩のニュータウンのなかで、ベルコリーヌ南大沢はバブル時代の名残を思わせる派手さがあった。自分、住めます。住まわしてください。

 展示物としては、他に「映像に見る団地の建物の色」というものがあり、『多摩ニュータウン 72』(1972年、24分9秒)、『多摩ニュータウン 21世紀の豊かなまちづくりをめざして』(1985年、30分1秒)が上映されていた(両方、企画:東京都、制作:日本映画新社)。前者の『多摩ニュータウン 72』を食い入るように見てしまった。
 
 ニュータウンが造成される前後の、丘陵の様子が記録として残されていた。丘陵に少しずつ団地が造成されていく状況は、良くも悪くもグロテスクであった。ニュータウンに引っ越してきた「新住民」たちの、新生活に胸を躍らせる様子には、「夢」が存在していた約半世紀前の時代状況を感じさせるものがあった。

 今の視点からすると、造成当初のニュータウンの外装の色は、もしかしたら「色が薄い」と感じられるかもしれない。しかしながら、映像の中にいる彼らにとっては、その色はどのように感じられていたのだろうか。昔ながらの家々と比べたら、光り輝いていた可能性はなかっただろうか。その意味では、ニュータウンに引っ越してくる前、もともと人々が馴染んでいた環境で「当たり前」と認識していた色がどのようなものだったのか、気になった。

 帰りに、過去の企画展の図録を購入。そのうち読みたい。

図録

 本当だったら、多摩ニュータウンのどこか住区の1つでも巡検してから帰りたかったが、それはまた今度。