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20231121「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展(於:弥生美術館)

 弥生美術館で開催中の「大正の夢 秘密の銘仙ものがたり」展に行った(会期:2023年9月30日(土)~12月24日(日))。前期の展示は見られず、後期の展示を見た。

(引用)アンティーク着物ブームの牽引役として登場した〈銘仙〉(めいせん)。大正から昭和初期に女学生を中心に大流行した着物ですが、現代の着物にはない斬新な色柄が多く、胸ときめきわくわくさせられます。
本展では、銘仙蒐集家・研究家である桐生正子氏の約600点のコレクションから選び抜いた約60点の銘仙を紹介。着物スタイリストの大野らふ氏のコーディネートでお届けします。
銘仙でみるgirl’s History
100年前の女学生文化は新しいことの連続、ささやかな闘いの歴史です。伝統的な日本の価値観に西洋の文化や考え方が流入してきた時代。そんな過渡期に生まれた若い女性たちのカルチャーを、銘仙を通してひもといてゆきます。

www.yayoi-yumeji-museum.jp


 感想を一言述べると、銘仙が(特に都市の)日常生活に彩りを添えて、根付いていたのだなと思った。それだけでなく、当時の芸術の潮流も踏まえてデザインが行われていたりする点も興味深い。

 大野らふ・桐生正子『大正の夢 秘密の銘仙ものがたり 桐生正子着物コレクション』(河出書房新社、2021年)のなかに、展示会とおおむね同様の内容がまとめられているので、いくつか参照する。

 銘仙の流行のきっかけは「解し織りの模様銘仙」にある。明治末期に学習院女学部の規則が「銘仙以下の服装」を指定することになったが、当時の銘仙は地味とみなされていた。そのなかで、「大胆な柄の表現」を可能にする解し織り銘仙が生み出された。さらには、輸入染料の「鮮やかな発色」もあいまって、学習院の女学生の銘仙人気が高まった(同書pp.15-7)。こうして、大正以降、女学校の進学率が上昇するなかで、銘仙のニーズも高まっていった(p.20)。

 詳細は省くが、銘仙の「図案調整所」の存在、1900年パリ万博以降の図案教育・図案家育成、アール・ヌーヴォーの定着と「薔薇」モチーフの図案の広がり、1920年代の「モダンガール」の流行の一方で起こるデパート・百貨店での銘仙販売の拡大もおもしろい。ファッションがいかに生み出され、どのような人々に支えられ、さらには日本の都市文化、大衆文化、女学生文化のなかでどのように受け入れられていったのか、このようなことが銘仙を紐解くことで見えてくる。

 なお、銘仙のブームは女学生文化の広がりによるものだけでなく、「カフェーの女給さん」がその流行を先導した面が大いにあるようだ(pp.90-1)。

 銘仙と当時の芸術の潮流との関係に関する記述についても興味深いものがある。例えば、ロシア構成主義をいかに図案に取り入れるか、日本のMAVO(マヴォ)の果たした役割も踏まえたデザインの歴史がおもしろかった。また、アール・デコを取り入れたり、戦後のアメリカのファッションに影響された水玉模様の銘仙もかなりビビッドな印象をもたらしてくれる。当時のニュース性の高い時事ネタを図案に取り入れる試み等も、かなり遊び心がある。そのデザインの自由度や時事ネタの再現度の高さを可能にする技術力があるということなのだろう。

 しかしながら銘仙ブームは、戦後の「ガチャ万景気(糸へん景気)」を境に収束していくことになる(p.124)。このあたりは、ブーム終焉後の地域、いわば都市生活の服飾文化を支えていた「地方」の動向がどうなっていったのか、気になった。

 館内は写真撮影OKだったので、いくつか写真を載せる。

戦後、アメリカのデザインの影響にある2つ

萌え萌え

帯に「HIGHSPEED」と書いてあるのがわかると思うが、「そんなのアリ?」と驚いた。

右はロシア構成主義的、左はアメリカンデコ的

水玉が本当にきれい